「いつ孔明は出るの?」 横山光輝『三国志』で官渡の戦いが、カットされた理由を聞いた!
ここからはじめる! 三国志入門 第81回
三国志の入門書として、今なお愛読者を増やし続けている不朽(ふきゅう)の名作、横山光輝(よこやまみつてる)『三国志』。作中でも不動の人気を誇る諸葛亮(孔明/しょかつりょうこうめい)のエピソードや、官渡(かんと)の戦いが省略された理由を探る。
■3分の1が終わって登場する「主人公」

諸葛亮が表紙に初登場した、横山光輝「三国志」希望コミックス版 第21巻。©横山光輝・光プロ/潮出版社
「やっぱり諸葛孔明が主人公だと思って読み始めた人も多いみたいで、一体いつ主役の孔明が出てくるんですか? と読者の方にはよく言われました」
漫画家・横山光輝(1934~2004)は生前のインタビューで、こう話していた。諸葛亮の知名度や人気がよくわかるが、彼の登場はコミックス全60巻のうち、実に1/3が終わった21巻から。当時の読者がいかに首を長くして待ったか、また「三国志」がいかに長大な物語であったかも思い知らされる。
「子どもの頃に吉川英治さんの小説を読んで印象深かったのは諸葛亮で、すごく好きだった。誰もいない城で琴を弾いて疑いを持たせたりとか、ああいう策に非常に興味があったんです」
先に紹介した曹操も同様だが、諸葛亮にも格別な思い入れがあったようだ。それだけにビジュアル化には苦労したらしい。
「孔明の顔って、難しいですね。理知的で、美男子に描こうとは思っているんですけど、髭(ひげ)を生やすと人間の顔はドンドン変わってきますしね。それに若いころは美男子に描いても、年をとってくると、髭だけをピュッと描くわけにもいかない。品よく、しかも年相応に描かなきゃいけない」
横山が「難しい」と語った孔明の顔。『人形劇 三国志』の生みの親である川本喜八郎(かわもときはちろう)も「粘土をこねていても、なかなか孔明にならない。4回目にようやく孔明になってくれた」と生みの苦しみを語っていた。曹操(そうそう)や劉備と同様、とくに主役クラスの顔には、作者の試行錯誤と創作にかける情熱が込められているのだ。
逆に、別の意味で難しかったのが劉備だという。
「優しいか人徳があるかはともかくとして、孔明や張飛(ちょうひ)、曹操のような強烈な個性がないんです。どうも中国の偉い人というのは、何か茫洋(ぼうよう)としているというのか、おおらかというのか、そういう表現の仕方になってくる。それで福徳というんですか、耳が大きくて象耳(ぞうみみ)だとか福耳(ふくみみ)だとか、そっちの方が強調され出してくる。ああいうのも面白い」
■「官渡の戦い」が省略されたワケ
さて、ここで冒頭の諸葛亮の話とも関わると思えるのが「官渡(かんと)の戦い」だ。横山三国志を通読してみると、200年に曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)が中原の覇権を競った、その重要な合戦が省略されていることに気付く。
その前哨戦「白馬・延津の戦い」は、コミックス17~18巻で描かれている。顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)を討ち、曹操へ恩返しする関羽の見せ場だ。物語は、そのまま関羽の「千里行」から主従の再会に進み、江東での「孫策(そんさく)の最期」(200年)が描かれて19巻が終わる。

横山光輝「三国志」でわずかに描かれた官渡の戦い。横山光輝「三国志」希望コミックス版 第20巻より。©横山光輝・光プロ/潮出版社
しかし20巻の冒頭では、それから7年後に話が飛ぶ。「官渡の戦い」は、わずか2コマで説明され、劉備や孫権(そんけん)の動静とともに数ページで流される。207年に劉表(りゅうひょう)が「のう玄徳殿、袁紹(えんしょう)はなぜ敗れたのであろうのう」「もはや、この国で曹操に太刀打ちできるものはおるまい」と劉備に語る場面から再開する。
戦いが省略された理由。その前提となるのが、当時『三国志』が連載されていた雑誌『少年ワールド』(潮出版社)の休刊による中断だ。同誌は1965年「希望の友」として創刊、1978年に「少年ワールド」と名前を改名したが、1979年11月(12月号)で休刊を余儀なくされた。
実は、その時点で横山三国志も連載がいったん終わった形になり、年あけて数ヵ月後の1980年4月に同社から月刊『コミックトム』が創刊され、そこで継続された。ちなみに手塚治虫の『ブッダ』も同じ状況を味わった作品である。
この中断の時期が、ちょうど19巻と20巻との境目というわけだ。「孔明はいつ出るの?」という読者の声もあったなか、作者としても早く「三顧の礼」(劉備が諸葛亮を迎えに行く場面)を描きたかったのでは・・・と、一読者としては邪推してしまうが、その疑問を長年、横山の担当編集をつとめた岡谷信明さん(潮出版社)にぶつけてみた。
■「孔明を早く出したかったから」ではない!
「横山先生が官渡の戦いを描かなかったのは、孔明を早く登場させるためではありませんでした。実は、休刊前の雑誌では50ページ連載だったのが、『コミックトム』で連載再開と同時に100ページ連載になりました。50ページの連載では、あと何年かかるかわからない。それで先生に100ページで、と断られる覚悟でお願いしたところ『ああ、いいですよ』とおっしゃってくださったんです」
むしろ、編集部サイドとしては「読者はちゃんとついてきてくれている。あわてて孔明を出す必要はない」と考えていたそうだ。だが、もし連載再開にあたって官渡の戦いから曹操の華北制覇を描くとなれば丸々100ページ。あるいは単行本数冊はかかったかもしれない。非常に重要な場面ながら、あえてそれを省略して作中の時を進めた。孔明の登場もそうした流れの結果と考えるべきだろう。
「読者から『早く続きが読みたい』という要望がありました。先生としても『とにかく早く完結させたい』と。また雑誌が休刊になったら大変。その前に完結させたいとお考えだったのだろうと推察していました」
100ページでの再開当初は、それから4~5年で完結する予定だったが「横山先生も三顧(さんこ)の礼、赤壁(せきへき)の戦いと、描いているうちにノッてこられて」、結局8年もかかった。読者としては嬉しい結果にもなったのである。
連載中も読者のお便りで「官渡の戦いを描いてほしい」という声はあり、横山もいずれ描きたいとの意欲をみせていたが『三国志』連載終了後は『項羽と劉邦』『武田信玄』など他作品の執筆に追われ、実現しなかった。
そんな読者の希望をかなえたのが、テレビ東京のアニメ『横山光輝 三国志』(1991~1992)。本作では第30話で「官渡の戦い」がそれなりに詳しく描かれた。ただ、その一方で孫策の活躍や袁術の死などが省略され、第47話「赤壁の戦い」で終了してしまうなど消化不良で終わったのは残念だ。
また岡谷さんは、横山と諸葛亮にまつわる思い出話をしてくれた。
「1985年に、横山先生と四川省の成都に行きました。諸葛亮を祀る武侯祠(ぶこうし)の前で現地の人々に『好きな人は?』と質問すると、口々に『ジュ―ゴーリアン(諸葛亮)』と返ってきました。やはり本場の孔明人気はさすがでしたね。そこで武侯祠には劉禅が祀られていないことも知りました。作品のラストで『三国志の英雄を祀る武侯祠に、劉禅は祀られていない』と先生が書き添えたのは、このときの取材の成果です」
ただ、後年に涿県(たくけん/劉備の出身地)の三義宮へ行くと、そこには劉禅が祀られていて驚いたとのオチもあったという。
「吉川英治さんは、孔明の死で終わらせていますね。そこに、日本人の美意識みたいなものを感じます。孔明がいなくなると、物語としては色あせてしまうでしょう」と横山は連載中に語り、自身も諸葛亮の死を59巻に描き、残り1巻で蜀の滅亡を描いて物語を終わらせている。
吉川英治版や「演義」とは異なる、横山オリジナルの孔明陣没が思い浮かぶ。五丈原の陣営を見まわり、自分の宿星が落ちるのを眺め、四輪車に座ったまま絶命するのだ。あれは何度見ても涙せずにはいられない。
※取材・文:上永哲矢 主な参考文献/「歴史読本ワールド’91・8 特集諸葛孔明の謎」(新人物往来社)、「別冊宝島412 よみがえる三国志伝説 新しい三国志の未来が見える本」(宝島社)、「横山光輝三国志事典」(潮出版社)、「横山光輝三国志大百科 永久保存版」(潮出版社)