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潜水戦車:戦車の水底走行を選択したドイツ

第2次大戦水陸両用戦車物語 第2回 ~泳ぎ、そして潜る! 水を克服した鋼鉄の猛虎たち~

対英戦を想定して改造された「潜水式」戦車

水底走行のための改修が施されたIII号戦車潜水型。海での走行試験時の撮影。砲塔上面の車長用キューポラに被せられた水密カバーや車体上面に巻かれた太い吸排気用フレキシブル・ホース、車体銃に被せられた水密カバーなどが見てとれる。

 第一次世界大戦でイギリスやフランスに戦車で遅れをとったドイツは、敗戦後、戦勝列強による戦後処理のヴェルサイユ条約によって、戦車などの近代兵器の保有を禁止された。

 

 だがこの「ご禁制」の期間中、ドイツが資本を拠出している国外企業などで戦車を開発・生産して戦車技術を蓄積。1935316日にヒトラーが再軍備化を宣言してヴェルサイユ条約を破棄すると、ドイツは戦車を急速に大量装備した。

 

 193991日のドイツによるポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発したが、破竹の快進撃を続ける同国は北欧各国やオランダ、ベルギー、フランスを軍門に下し、残るは英仏海峡を隔てたイギリスのみとなるまでに西欧を席捲。

 

 そしていよいよ、海を渡ってイギリス本土へと侵攻する「ゼーレーヴェ」作戦が立案されると、その準備段階において、海を渡って敵地に上陸する戦車へのニーズが生じた。

 

 だが、新しい水陸両用の戦車を新規に開発している時間的余裕はない。そこで考えられたのが、既存の戦車の水陸両用化だった。白羽の矢が立てられたのは、もちろん当時の主力戦車のIII号戦車と、その支援を担うIV号戦車である。

 

 この水陸両用化に際して、ドイツは浮上航行式ではなく潜水式を選択した。つまり、戦車を水面に浮かせて航行させるのではなく、水底を走らせようというのだ。

 

 具体的な改修は、車体各部のハッチ類、砲の防盾基部、照準器用開口部、同軸機関銃開口部、車体銃開口部、砲塔のターレットリング部などといった各部にゴム製の防水シールを施したうえ、さらに転輪などの取付部やその他の微細な隙間にはグリースを塗り込んで水密化。エンジンの吸排気は、吸排気口に接続されたシュノーケルのような逆流防止弁を備えるフレキシブル・ホースの水面側に大型のブイを装着。それを通じて吸排気を行った。

 

 この改修により、水深15mの水底を時速約5kmで走行可能となり、ブイに設けられたアンテナで水面上との無線交信もできた。鋼鉄の塊の戦車ながら水底では相応の浮力が働くため、走行状態は陸上よりも軽快であった。

 

 なお、乗員には緊急時の脱出用として、沈没したUボートからの脱出用具と同様のものが支給されていた。

 

 しかし「ゼーレーヴェ」作戦が中止となってしまったため、潜水戦車は英仏海峡では使用されなかった。その代わり、独ソ開戦時の緒戦である「バルバロッサ」作戦におけるブーク川の渡河に際して初めて実戦で用いられ、好成績を示しただけでなく、ソ連側を大いに驚かせたという。

 

 また、ドイツが誇る重戦車ティーガーIの極初期型にも、開発段階ではその自重が重すぎて橋梁が渡れないケースが多いと想定されたため、水深4mまでの水圧に耐えられる水密機構が予め組み込まれ、これに伸縮式吸排気パイプを取り付けて水底走行が行うことができた。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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