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前史:水陸両用戦車の起源と黎明

第2次大戦水陸両用戦車物語 第1回 ~泳ぎ、そして潜る! 水を克服した鋼鉄の猛虎たち~

あらゆる戦場で移動できる水陸両用戦車の夢

ヴィッカース水陸両用軽戦車(A4E12)はイギリスでこそ採用されなかったが、諸外国では採用されている。なお、写真の本車の砲塔に装備されているのはヴィッカース水冷式機関銃なので厳密には銃塔となる。

 戦車が初めて実戦に登場したのは、第一次大戦時であった。分厚い装甲を纏い、鋼鉄製の履帯(りたい)と転輪を備えた戦車は、それまでの各種車両に比べてきわめて重かった。そのため戦場での移動時、戦車の重量に耐えられる橋梁(きょうりょう)が当該の戦区に存在するか否かは、戦車が戦闘を継続するうえで最重要の要件ともいえた。

 

 では、もしも渡れる橋梁がなかった場合はどうするか? もちろん事前の調査で各橋梁の強度の情報を入手しておいたりはするが、橋梁が破壊されているなど不測の事態も起こり得る。その場合は工兵が仮設橋梁を設置したり、既存の橋梁を補強して戦車の通行を可能とするが、それにはかなりの時間を要する。そこで考えられたのが、水陸両用の戦車だった。

 

 この水陸両用の戦車を開発するに際して、考え方がふたつ存在した。

 

 ひとつは、水密構造の戦車を水上に浮かせて浮上航行させる浮航式。もうひとつは、戦車を完全水密にして水上に吸排気できるようにしたうえで水中を移動する潜水式である。

 

 だが水密技術の限界から、第一次大戦時に試作された初期の水陸両用戦車は浮航式であった。

 

 イギリスの菱形戦車の流れを汲むMk.IXがそれで、実際には戦車ではなく装軌(そうき)式の装甲輸送車といった体の車両である。薄い装甲で大きいサイズの割に軽く、しかも輸送車なので車内容積が広く浮力も大きかったため、さらに車外にドラム缶状の浮子(ふし)を装着。履帯に起倒式のパドルを装着して水上航行時の推進力を得た。

 

 しかしMk.IX浮航型は第一次大戦には間に合わず、戦後に少数が使用されるにとどまった。

 

 第一次大戦後も水陸両用戦車の研究は続けられたが、やはりその中心は、水密技術の問題により浮航式であった。

 

 戦後、世界で初めて量産化された水陸両用戦車となったヴィッカース水陸両用軽戦車(A4E11またはA4E12)もまた浮航式で、ヴィッカースMk.I軽戦車の主機やメカニズムを、箱型で軽量な浮力の強い車体と組み合わせて開発された。

 

 開発元であるヴィッカース社の母国イギリスは本車を採用しなかったが、中華民国、オランダ領東インドなどがそれぞれ少数を採用している。またソ連は、ライセンス生産権を取得してT33の名称で生産。さらに独自の改良を加えてT37T38を開発し、どちらも量産に至っている。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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