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「異人の肉ぶとん」と罵倒された「らしゃめん」たち 江戸娘は誇り高いと言われたが……?


■淫らで卑しい女と差別された「らしゃめん」とは

 

 動乱の幕末、開国を迫られた日本ではその後外国人男性の性の相手をし妾のような存在となる「らしゃめん」が誕生した。漢字では「綿羊娘」と書く。

 

 当時の日米関係を背景に、外国人男性とらしゃめんについて詳細に記した『幕末開港綿羊娘情史』という書籍がある。

 

 それによると、萬延から文久にかけて「らしゃめん」という言葉が巷で話題になった。今でいう“流行語”になったのだが、決してポジティブな意味合いではない。当時らしゃめんは「外国人に性を売る淫らで強欲な女」のように誹謗中傷された。同書によると、江戸の娘たちが横浜見物に行きたいと思っても、外国人が多く行き交う横浜を歩けばらしゃめんと勘違いされるため、控えていたというほどだ。

 

 同書は昭和6年刊行だが、筆者は文久元年に出された『江戸自慢娘気質(かたぎ)』という本の写本に目を通したことがあるという。そこには、「らしゃめんなど東国においては前代未聞のことで、らしゃめんが主人の屋敷に出入りする様子を見ようと見物人が集まるのも珍しいからだ」と記載されていたとか。

 

 さらに、「江戸中の娘、隅から隅まで夷人の肉蒲団たるもの一人もなかるべし」などと極めて差別的な表現で記されている。筆者が目にした書物ではとにかく江戸の娘の誇り高さを強調しており、「江戸娘は遊女といえども『東女(あづまおんな)の張り』がある。まして普通の娘においてや、武士階級は言うまでもなく、町家の娘――よし貧乏な生活をしても、いやしくも娘たるもの、綿羊娘となり、日本の女としての誇りを棄てるものは一人もいない」というように書かれているというのである。

 

 しかし、筆者は「そんなことはない、江戸娘だってらしゃめんになっていた」と一刀両断する。実例に挙げられたのは、三田の蕎麦屋の娘・お花だ。彼女は道楽娘で、蕎麦屋に通う浪士数人と関係をもっているという噂はあったものの、英国公使館がおかれた江戸・高輪の東禪寺にらしゃめんを斡旋するにあたって、条件をクリアしているとされた。結局お花は実家が借金を抱えている事情もあってこれを了承し、月給40両を受け取るらしゃめんとなったという。筆者はこのエピソードを紹介した上で、「横浜でのらしゃめんは最初遊女から始まったが、江戸ではその先陣をきったのは普通の娘だったではないか」として、『江戸自慢娘気質』が謳う「江戸娘の誇り高さ」をハリボテでしかないと断じているのだ。

 

 ちなみにこのお花がらしゃめんになるまでの経緯には様々な時代背景や事件、そしてその末に斡旋した人間が殺害されるという劇的な展開が潜んでいるのだが、それはまた別稿に譲るとする。

イメージ/イラストAC

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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