「人柱」として橋脚の下に埋められた足軽・源助の悲劇 朝ドラ『ばけばけ』に登場した奇怪な伝承の真相は?
日本史あやしい話
■有能な語り部であった小泉セツ
ただし、松江に伝わる人柱伝説は、これだけではなかった。松江城の天守閣を築く際にも、土台となる石垣の下に、一人の女性が埋められたと言い伝えられているからだ。城下で催された盆踊りで一番上手な娘が選ばれたとか。
そのせいか、堀江家や京極家の跡を受け継いだ松平直政が、新たに出来上がった天守閣に初めて登ろうとした際、死装束姿の女の幽霊が現れて、「この城は妾のもの」と必死の形相で語ったとも言い伝えられている。
さらには、堀尾吉晴の時代にも石垣が崩れ、石垣の下から槍が刺さったままの髑髏が出土したこともあった。これを丁重に葬ると、水がコンコンと湧き出てきたとも。その湧き水のために作った井戸は、後にギリギリ井戸と名付けられて長く重用されたと伝えられている。
なお、これらのお話は、ハーンが松江に滞在した明治23(1890)年8月30日から翌年11月15日までの1年3ヶ月余りの間に見聞きしたものをまとめたものである。後に妻となる小泉セツとの同居は明治24(1891)年2月頃からであるが、そこに記された怪談話の多くが、妻・セツの語りから生まれたものであることは想像に難くない。セツこそが、有能な怪談話の語り部であったことも付け加えておくことにしよう。
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