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江戸時代に起きた医者と大工の攻防戦 互いの妻の命をかけた鬼瓦 VS 鍾馗像の結果は…?

世にも不思議な江戸時代⑤


大坂の大工の隣に医者が引っ越してきた。家を建て替えるほどに医者は繁盛した。新しい家には鬼瓦が載せられたのだが……。


 

■医者が引っ越してきてから体調を崩した妻

 

 大坂近郊での出来事である。ある大工の家の隣に空き家があった。そこに医者が引っ越して来て開業したが、腕のよい医者だったようで、数年とたたないうちに空き家だった家を屋敷のような大きな家に建て替えた。この辺では比べるものがないほど豪華で、屋根には立派な鬼瓦が取り付けられた。それが評判となり、ますますこの医者に診て貰いたいという患者が遠くからやってくるようになった。

 

 ところが、この頃から隣家の大工は妻の具合が悪くなったことを気に病んだ。いろいろと手を尽くしたが、一向によくならない。神仏にもすがったがダメだった。最後の頼みとばかりに、よく当たるという評判の占い師に原因を見てもらうことにした。

 

 その占い師がいうことには

「これは気の病です。本人に何か気になることがあるのではないでしょうか」

そこで、大工は妻に何か気になることがあるのではないかと問うてみた。

 

すると妻は

「隣の鬼瓦を朝晩と見るたびになんだか気持ち悪くなって」

という。大工はさっそく医者の屋敷を訪れて、事の次第を話し、大変申し訳ないのだが、我が家から見える方にある鬼瓦を外してもらいたいと懇願した。

 

 ところが、この医者は人の病を治すのが仕事のはずなのに、うんと言わない。それどころか、魔よけのためにおいてあるのだから動かすことはできないと突っぱねた。

 

 家に帰った大工がこの話をしたところ、妻の病は益々重くなってしまった。このままでは妻の病は治らないと思った大工は、町内の年寄たちに相談した。年寄たちは大工に同情して、みんなで医者に掛け合ってくれたが、医者はそれでも承諾しなかった。

 

 そこで年寄の1人が「鬼瓦が魔除けならば、同じように魔除けの神・鍾馗様を造り軒端において、鬼を屈服させてはどうだろう」と提案があったのでやってみることにした。当時は腕のよい大工は彫刻もできたのだ。大工はなるべく怖い鍾馗像をと精魂込めて彫り、鬼瓦をにらみつける位置にあたる軒端に置いた。不思議なことにその途端に妻の具合がよくなった。

 

 ところが、今度は医者の妻がそのころから病に伏せるようになってしまった。医者は自分で妻を診たがどこも悪いところはない。だが、妻はだんだんと悪くなっていくようにしか見えない。どうしたものかと思案の結果、もしかして大工の妻と同じ病気かもしれないと、医者は大工の家へ行った。そして、妻のことを話したが、大工は、

 

 「これは魔除けだから、取り除くことはできない」の一点張りで取り合わなかった。先日の医者の対応を知っている町の年寄たちは、仲に入って問題を解決しようとはしない。そのため、医者の妻は日に日に弱っていく。

 

 さて、大工の造った鍾馗があまりにも素晴らしいと評判になり、大勢の人が見物に訪れた。人々は、口々に大工の腕を褒め、仕事を頼むようになった。一方、医者の方は、大工に対する仕打ちが広まって以前ほど診て貰う人が来なくなってしまった。

 

 やがてこの騒動が役人の耳に入って、鬼瓦も鍾馗像も撤去するように命が下り、どちらも無くなってしまった。このおかげか、医者の妻は元気になったという。

「鐘馗と鬼」(東京都立中央図書館蔵)
鍾馗は、中国の魔除けの神。マラリアにかかった皇帝の夢の中に鍾馗が現れて鬼を退治した後、皇帝が回復した。このため、鬼は鍾馗に勝てない。関西では魔除けのために屋根の上に鍾馗像を挙げることもあるという。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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