父の仇・武田信玄の側室となった「諏訪御料人(湖衣姫)」は夫を愛したのか? 諏訪氏の血が流れる勝頼の最期
日本史あやしい話
武田晴信(信玄)に、父・諏訪頼重を殺された湖衣姫こと諏訪御料人。あろうことか、父の仇ともいうべきその晴信と祝言をあげることに。小説などでは、恨みを抱きながらも、次第に晴信に心を寄せるようになっていく健気な少女像が描かれることが多いようだ。しかし、それって本当のことなのだろうか?恨みがそんな簡単に晴れるものか?彼女の心の内を探ってみたい。
■父を殺された悲運の少女
諏訪御料人という女性をご存知だろうか?仮にその名を知らなくとも、湖衣姫あるいは由布姫といえば、「ああ、あの人ね」と、納得する方も少なくないに違いない。そう、いうまでもなく、戦国武将としてその名を知られた武田信玄(晴信)、その側室のひとりである。
この女性、諏訪と記すところからもおわかりいただけるように、信濃国諏訪地方に勢威を張っていた諏訪氏の出自で、甲斐の武田氏と代々抗争を繰り返していた諏訪氏19代当主・頼重の娘であった。頼重は諏訪大社の神職「大祝」を務めてきた御仁でもあったから、名門の子女というべきだろうか。
そんな女性がなぜ武門である晴信の側室になったのか?それを知るには、晴信の父・信虎の事績から語らなければならない。
時は天文4(1535)年のこと、長らく抗争に明け暮れていた武田氏(信虎)と諏訪氏(頼重の祖父・頼満)が和睦。その担保として、信虎の三女・禰々(信玄の妹)が頼重に嫁いできたことが皮切りであった。信虎はこれだけでは心もとないと思ったようで、その身代わりとして頼重の娘を人質とし、甲府にあった武田氏の屋敷・躑躅ヶ崎館の何処かに住まわせたのだった(諸説あり)。
そんな頼重の娘を不幸のどん底に落としたのが、晴信による信濃侵攻であった。1541年、父・信虎を駿河に追いやって甲斐国主の座に就くや、翌年、早くも、諏訪惣領を目論む高遠頼継ら反諏訪勢力と示し合わせて、諏訪へ侵攻を開始したのだ。この時、頼重は桑原城に立てこもるも戦況は思わしくなく、とうとう武田氏に和睦を申し入れることに。ただし、条件として、頼重の命を助けることも忘れなかった。その和睦を受け入れた晴信は、頼重をもてなすかのようにして甲府に連れて行ったのである。
しかし、その後晴信はどのような行動に及んだのか?多くの方はご存知のはずである。何と、和睦の際の約束を無視して、頼重とその弟・頼高を東光寺に幽閉。挙句、二人を切腹させてしまったのだ。この時、頼重はまだ26歳。自害するにあたって、「わが屍は諏訪の湖に沈めよ」と遺言。晴信への恨みを残したままの、無念の自害であった。こうして、後継者のいなくなった諏訪惣領家は、ついに滅亡の憂き目に陥ってしまったのである。この時、甲府にいた諏訪御料人は12歳前後。悲報を耳にした彼女が、いったいどのような心持ちであったのか、想像するに忍びない。父を騙して自害させてしまった晴信に対し、これ以上ないほどの憎しみを抱いたことは言うまでもないだろう。
■恨みを抱きながらも心惹かれる女心とは?
ところが、である。晴信は何を思ったのか、自らを仇と恨むはずのこの娘に興味を抱き、人質たちを住まわせている部屋へ自ら出向いて、その姿を垣間見てしまったとか。これは新田次郎氏が著した『武田信玄』によるお話で、小説ゆえに真実かどうか定かではないが、あり得ない話ではないだろう。そこでは、気品ある清楚な姿で晴信の前に登場。彼は一目見るなり、心惹かれてしまったという。
ちなみに、当時の晴信には、正妻・三条夫人がいて、すでに長男・義信に次いで、次男・信親も生まれていた。さらに三男・信之の他、2人(3人とも)の娘まで誕生することになるから、正妻との仲は一応、仲睦まじかったと見なすべきだろう。
それにもかかわらず、小説などでよく語られる三条夫人像は、あまり芳しくない。父は左大臣をも務めた三条公頼で、公家の家柄を鼻にかける悪妻として描かれることが多いのだ。嫉妬深く、他の側室たちへの嫌がらせまで語られることもあり、晴信にとっても「鼻持ちならぬ煙たい妻」だったと語られている。
その一方で、晴信が一目惚れして自ら側室に望んだ諏訪御料人の方は「目も覚めるような美貌」とまで謳われ、父を殺した恨みもさることながら、次第に晴信に心を寄せる姿が描かれることが多いようだ。
また、この二人の婚姻に、家臣たちがこぞって反対していたことも付け加えておこう。「いつ寝首をかかれるやもしれない」というのが理由であった。そこに登場するのが山本勘助で、『甲陽軍鑑』によれば、「諏訪への懐柔策となる」ためとして、諏訪御料人を側室にするよう進言したという。
ともあれ、二人が結ばれたのは1543年(1545年説も)のこと。新郎・晴信は24歳、新婦はまだ14歳という幼妻であった。もちろん、父を殺したその張本人との婚姻は彼女としては納得のいくことではなかったはずであるが、憎しみの心を抱きながらも、次第に晴信に惹かれていく様相が小説などで語られたからか、健気な妻として親しまれることが多いようだ。
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