父の仇・武田信玄の側室となった「諏訪御料人(湖衣姫)」は夫を愛したのか? 諏訪氏の血が流れる勝頼の最期
日本史あやしい話
■勝頼に流れる諏訪氏の血が、武田氏を滅亡に追いやる?
しかし、それって、本当のことだろうか?父を騙して殺害した男に、そうやすやすと心を開くことができるものだろうか?筆者はどうしても、信じられないのだ。もちろん、政略結婚は戦国の世の常。彼女としても、拒むことなどできぬことであったことは言うまでもない。それでも、26歳の若さで恨みつらみを叫びながら死んだ父のことを、当時12歳前後の少女が知った衝撃は、一生涯消えることはないはずである。祝言をあげたとはいえ、父の仇との床入りなど、頑なに拒否したと考えられないだろうか。二人の間に、後世武田家を継ぐことになる勝頼が生まれたのも、祝言をあげてから3年も過ぎてからのことであったことが、それを物語っているのではないかと思えてならないのだ。
彼女の心の中に分け入ってみよう。憎っくき晴信など、触られるのも嫌であったはず。それにもかかわらず、彼女の心の中には、秘めた思いがあった。それが、滅亡してしまった諏訪家の再興であった。晴信の子とはいえ、それは同時に、諏訪家の血が流れる者であり、諏訪家再興の望みが叶えられる可能性があったからだ。諏訪家の血が流れる勝頼を諏訪家の跡取りとすることが、彼女に残された唯一の希望の光だったのではないか。彼女が病弱だったということもあるかもしれないが、勝頼一人しか生まなかったことも、その証という気がしてくるのだ。
となれば、これまで流布されてきた諏訪御料人の人物像も大きく変わるはず。次第に晴信を慕うかのような健気な少女像とはうって変わって、頑なに晴信を恨み、そして拒み続ける痛ましい姿が垣間見えてくるのだ。
その後のお話にも触れておきたい。勝頼が穴山信君や小山田信茂などに裏切られたことが武田家滅亡の大きな要因になったことはご存知の通りであるが、その一因として、諏訪御料人が絡んでいると言ったら、どう思われるだろうか?実はこの女性を通じて、勝頼に諏訪家の血が流れていることが、後世にまで尾を引いていると思えるのだ。勝頼配下には、父の代から仕えてきた武田家生粋の家臣団たちと、勝頼が諏訪一門である高遠氏が居城としていた高遠城で組み入れた家臣団たち、その両者による反目が、最後の最後に裏目に出てしまったと考えるからである。
ともあれ、勝頼は天目山を目指すも、その直前の田野で自害せざるを得なくなってしまったのは、返す返すも不運なことであった。
最後にひと言、死に臨んだ際の勝頼の心の内にも踏み込んでおきたい。この時、果たして、母である諏訪御料人のことを思い浮かべたかどうか?それはわからないが、諏訪氏と武田氏の二つの血が流れる自らの悲運を嘆いた可能性は大きいだろう。武田氏滅亡に、結果としてひと役買ってしまった諏訪御料人。穿った見方をすれば、武田家に対して仇を討ったと言えなくもないのだ。

武田神社/撮影:藤井勝彦
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