約3000人が犠牲となった9.11同時多発テロ あの日何が起こっていたのか?
2001年9月11日、アメリカ合衆国で発生した「9.11同時多発テロ」は、現代史に深い傷跡を残した事件であり、国際テロ組織アルカイダによる攻撃で約3,000人が犠牲となった。この出来事は世界に衝撃を与え、国際政治や安全保障に長期的な影響を及ぼした。
事件の背景には、1990年代から高まるアルカイダの反米感情がある。リーダーのウサマ・ビンラディンは、アメリカの中東政策、特に1991年の湾岸戦争やサウジアラビアへの米軍駐留に強く反発していた。アルカイダはイスラム過激派のイデオロギーを掲げ、西方諸国への攻撃を繰り返してきた。1998年のケニアとタンザニアの米大使館爆破や、2000年のイエメンでの米軍艦コール号への自爆攻撃は、9.11に至る一連の動きの一部だった。
2001年9月11日の朝、19人のテロリストが4機の民間旅客機をハイジャックした。彼らは事前にアメリカ国内で飛行訓練を受け、操縦技術を習得していた。午前8時46分、アメリカン航空11便がニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)北棟に突入し、高層階で大規模な火災が発生した。午前9時03分には、ユナイテッド航空175便がWTC南棟に突入。この衝突の瞬間はテレビで中継され、攻撃がテロであることが世界に知れ渡った。午前9時37分、アメリカン航空77便がバージニア州アーリントンのペンタゴンに突入し、建物の一部が崩壊。午前10時03分、ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州シャンクスビル近郊の野原に墜落した。この便では、乗客・乗員がテロリストと格闘し、標的とされる予定だったホワイトハウスや議会議事堂への到達を阻止したとされる。WTCの両タワーは衝突と火災による構造的損傷で崩壊し、南棟は午前9時59分、北棟は午前10時28分に倒壊。マンハッタンは瓦礫と粉塵に覆われた。
この攻撃で2,977人(ハイジャック犯19人を除く)が死亡し、負傷者は数千人以上に上った。犠牲者には旅客機の乗客・乗員、WTCやペンタゴンで働く人々、救助活動中の消防士や警察官が含まれる。長期的な健康被害も多く報告された。事件後、アメリカは「テロとの戦い」を宣言し、2001年10月にアフガニスタン侵攻を開始。アルカイダを支援していたタリバン政権を打倒したが、紛争は長期化した。2003年のイラク戦争も9.11の影響を受けた政策の一環だった。国内では、愛国者法の制定や運輸保安庁(TSA)の設立により、監視体制とセキュリティが強化された。
2011年、ウサマ・ビンラディンはパキスタンで米軍により殺害されたが、アルカイダや他の過激派組織は活動を続けた。9.11はテロリズムや国際関係だけでなく、市民の自由と安全保障のバランスについて、今なお議論を呼んでいる。この事件は単なる攻撃を超え、21世紀の世界秩序に深い影響を与えた。犠牲者の追悼と共に、テロの教訓は今日も重く受け止められている。

ワールドトレードセンター ビルの跡地、グラウンドゼロ。