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「一番乗り!」「鈴の甘寧」……孫呉No.1の猛者は、なぜ愛されるのか?

ここからはじめる! 三国志入門 第122回

甘寧が死去したころ(219年)の三国地図(作成:ミヤイン)

■ゲーム作品がもたらした「鈴の甘寧」像は、正史に由来

 

 残念ながら、甘寧の活躍はこのあたりまで。正史にも没年・死没地とも記されず歴史から忽然と姿を消してしまう。「甘寧が卒すると孫権は痛惜した」とあるだけだ。ただ、関羽を捕らえた後(219年)から夷陵の戦いの前(222年)にかけて「甘寧が死去し、潘璋がその軍を併合した」(呉志「潘璋伝」)と記載されていて、おおよその死期がわかる。

 

 そのためか「演義」では夷陵の戦いに病身をおして出陣するも、戦場で沙摩柯(しゃまか)の矢を受け、その傷がもとで大樹のもとに坐すという悲痛な最期が描かれた。

 

 猛将の最期としては物足りなさもあるが、その亡骸を数百のカラスの群れが守ったと伝えられ、当地(湖北省陽新県・富池鎮)には甘寧廟が建てられた。その周辺は「甘寧公園」と呼ばれるなど尊敬を集めている。埋葬のさい、その墓に彼愛用の「鈴」などは納められたのか。興味深いところである。

 

 正史にも描かれた彼のトレードマークともいえる「鈴」は、漫画作品では描かれないものが多いが、『蒼天航路』では派手な「羽飾り」が描かれ、ゲーム作品「真・三國無双」シリーズでは全作品に登場し、鈴を身に付けたキャラクター「鈴の甘寧」が定着している。

 

 このように孫権による張遼との比肩、凌統や呂蒙との因縁など、おいしいエピソードにも事欠かぬ甘寧。地味な扱いを受けがちな孫呉陣営にあって、甘寧は特別に愛されてきた。冒頭に載せた江戸時代の『絵本通俗三国志』の挿絵に単独で描かれているのは、アウトローな好漢が活躍する『水滸伝』人気の影響からであろうか。

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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