【夏休みこども企画】「古代」っていつのこと? 人々はどんな暮らしをしていたの?
「古代(こだい)」ってなんだろう?そしてそれはいつごろで、人々はどんな暮らしをしていたのだろう?
■「古代」と呼ばれる時代について、古い順にみていこう
日本列島の歴史を区分する方法はいろいろあるんだけれど、「古代」っていつのことだろうね?
古い順に時代を追ってみよう。
一番古い時代は日本列島に人族が歩いてやって来た何万年も前の時代で、石の道具を使ってナウマンゾウやオオツノジカなどを獲物として倒しては旅をしながら暮らしていた、とても寒い「旧石器時代」だ。
その次は1万6千年ぐらい昔に気温の高い時がやって来て、人々は家を作って住み、土をこねて土器を作った時代で、世界史では「新石器時代」というんだけれど日本では「縄文時代」とよんでいるよ。この時代はとても長くて1万3千年間ぐらいあったんだ!
地球がまた冷えてきた時代にアジア大陸から暖かい場所を求めて日本列島にやってきたのが弥生人だ。彼らは稲作という農業文化と鉄器を持って海を渡ってやって来て、地元にいた縄文人と合体するんだ。日本列島で本格的な水田(田んぼのこと)で米を作り始めた時代だね。

これは青森県の縄文遺跡「三内丸山遺跡」の縄文タワー。 今から5500年まえから4000年前までここに大きな縄文の村があったんだね。発掘すると、巨大な柱跡が六つ出て来て考古学者が研究した結果再現された建物がこれだ。
撮影:柏木宏之
このころから家族単位の集団が地域でいくつかまとまって村のような小さな国みたいなものを造り始めるんだ。それは日本中のあっちこっちにいっぱいできたみたいだね。
この弥生時代は村同士が土地や水を巡って戦争を始めた時代でもある。だから村を囲むようにぐるりと深い溝を掘ったり、塀を巡らしたりして兵士に守らせたんだ。これを「環濠集落(かんごうしゅうらく)」といって、弥生時代の特徴でもあるんだね。この時代までを「原始」と分類する説もある。

大阪府高槻市の安満遺跡公園は弥生時代の環濠集落遺跡だ。こんな風景が広がっていたみたいだね。
撮影:柏木宏之
だんだん大きくなる国々にはそれぞれ王様がいて、3世紀後半から大きなお墓を造り始める。この時代を「古墳時代」といって、鍵穴みたいな形をした前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と呼ばれる大きなお墓がどんどん日本中に造られ始める時代でね、今の奈良県に大和王権という巨大な連合国が誕生したと考えられているんだ。この時代の首都は時代と共に引っ越しをする。
奈良県の明日香村が国の中心だった6世紀にはじまる飛鳥時代から、奈良市内に大きな平城京という都を造った8世紀の奈良時代、そして今の京都府の平安京に引っ越してからの平安時代へと移っていく。

奈良県の弥生遺跡「唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡」で出土した土器に描かれていた絵から再現したユニークな建物。今から2400年ぐらい昔から700年間、人が大勢暮らした弥生時代の村のあと。
撮影:柏木宏之
平安時代の後は、平氏や源氏の武士の時代がやって来た。この貴族の時代最後の平安時代までを一応「古代」と呼んでいるんだ。
それから後の時代を中世・近世・近代・現代と区別して研究している。旧石器、縄文、弥生の時代には文字なんか無いから記録がなにも無い時代で、土に埋まった当時の道具や人間の暮らした跡(あと)が研究材料になるわけで、発掘で発見された実物を研究しているのが「考古学」という学問だ。
一方、飛鳥時代からあとは文字の記録が残ってくるので、そういう古い文字資料を研究するのが「文献学」だ。考古学と文献学を一つにして歴史学とも呼んだりする。
日本列島には仏教と共に漢字が導入されるのだけれど、漢字の本家の中国大陸にははるか昔から文字記録があるので、そこにほんの少し書かれている日本列島の話題を研究して、研究者は少しでも文字の無かった当時の日本列島の姿を再現しようとしているんだ。
とても有名なのは『三国志』という古代中国に同時に存在した三つの国の歴史書で、その中の『魏書(ぎしょ)』の最後の最後に少しだけ書かれている『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』だろうね。ここに登場する「邪馬台国」や「女王卑弥呼」の謎は今も私たちを興奮させてくれるよね!
「古代」と呼ばれる時代は、古い時代ほど想像をかき立ててくれるような気がするね! でも考えてごらん。古代の人たちが一生懸命生きてくれたから、今の私たちの生活があるんだよ。きみの住んでいる町にも、きっと古代の遺跡と歴史があるはずだ。どんな遺跡があるのかを夏休みに調べてごらん! 面白いと思うよ!