「戦死をカッコいいと思われたら良くない」『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』で岡本喜八が伝えたかったこと
◼️若者たちが戦争というものにまさに直面し、葛藤する姿
東京ドームの敷地内に鎮魂の碑という石碑がある。戦火に散ったプロ野球選手たちの慰霊碑であり、76名の名前が刻まれている。そして、東京ドーム内の野球殿堂博物館には戦没野球人モニュメントというレリーフがある。ここにはプロ野球には属さなかった中等学校野球、大学野球、社会人野球の選手たち167名の名前が刻まれている。その中に夏の甲子園で全5試合完封・2試合連続ノーヒットノーランを成し遂げた伝説の大投手・嶋清一や選抜2回、夏1回の甲子園優勝を果たした松井栄造といった著名な選手の名前も見つけることが出来る。
この碑文には「こよなく野球を愛した方々」という一文がある。
『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』はこよなく野球を愛した男たちの物語である。
山本五十六司令長官の戦死が国民に伝えられた昭和18年(1943)5月。戦況はますます悪化する一方であり、六大学野球連盟も4月末には解散を決定していた。そのさなかで、10月21日の学徒出陣のわずか5日前、10月16日に出陣学徒壮行早慶戦、いわゆる最後の早慶戦が行われた。
この開催にこぎつけるまでには困難な交渉事があり、様々な人たちの苦労があったに違いない。
だが、この映画の主題はそこではない。この試合に参加した者、参加できなかった者、そのいずれの者たちとも戦友になった者たちが、戦争というものにまさに直面し、葛藤する姿が描かれていく。
監督の岡本喜八は本作品のDVD付録インタビューで「戦死をカッコいいと思われたら良くない。戦争はイヤなものなんだ、と思ってほしい」というようなことを語っている。
学徒出陣した学生たちが配属先で受ける実に理不尽な体罰行為をきちんと描き、学生たちの死にゆくさまを感傷的にならずに演出しているのはそういうことなのだろう。自らも兵役に就き、戦争の虚しさとバカバカしさを身をもって知った岡本喜八の矜持とも言える。
物語の終盤、早稲田大学の野球部顧問であった飛田穂洲(東野英治郎)が野球部マネージャーの相田(勝野洋)に「いつか、日本の学生野球の為に必ず役に立つ時が来る」と防空壕の奥底に隠させていた300ダースのボールが登場する。その真っ白なボールに胸が熱くなる。戦争は終わったのだ。その白さはまさに希望と呼ぶにふさわしい。
プロ野球にこそ、その人気を譲ってはいるが、学生野球の人気もまだまだ健在である。むしろ、日本野球の礎である。今日も全国のそこかしこの野球場から選手たちの声がひびき、観客の歓声がこだまする。その光景に、儚くも戦場に散った無類の野球好きたちの魂が微笑んでいてほしい。

東京ドーム脇に立つ「鎮魂の碑」。