高く評価された堅牢機サンダーボルトの後継機【リパブリックF-84サンダージェット】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第13回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

朝鮮戦争中、ボーイングKB-29Mスーパーフォートレスから空中給油を受けるF-84E。今日では当たり前の「空中給油」だが、当時は画期的であった。
リパブリック社が開発したレシプロ戦闘機P-47サンダーボルトは、第2次世界大戦が勃発すると戦闘機としての空戦能力に加えて、堅牢さと爆弾など搭載兵装の多さで前線から高く評価された。このような背景により、アメリカ陸軍航空軍は1944年、次世代の航空機エンジンとなること間違いないジェット・エンジンを搭載する、同様に堅牢な戦闘機の開発を同社に要請した。
これを受けたリパブリック社では、同社の首席設計技師でサンダーボルトを手がけたアレキサンドル・カルトヴェリが開発に携わった。トビリシ生まれのロシア移民である彼は、後年、F-105サンダーチーフやA-10サンダーボルトIIを生み出したように、堅牢な機体を大馬力エンジンで引っ張るという、苛酷な実戦に耐えられる航空機の設計を得意とした。
サンダージェットと命名された試作機XP-84は、第2次世界大戦終結後の1946年2月28日にウォーレス“ウォーリー”エリン少佐の操縦で初飛行に成功。1947年9月に陸軍航空軍が独立して空軍が誕生すると、従来の戦闘機の頭文字だった追撃(Pursuit)の「P」に代えて、戦闘(Fighter)「F」が使われるようになったため、P-84もF-84に改められた。
サンダージェットの初期の型はエンジンが低出力で整備などにも手間がかかるなど問題もあったが、後期型ではそれらの問題は解決されて信頼性の高い堅牢な機体となった。ゆえに単座ジェット戦闘機として初めて核爆弾が搭載できる機体とされ、早い時期に空中給油能力も付与されて、1950年9月には単座ジェット戦闘機として空中給油を利用した大西洋の無着陸横断飛行に初めて成功した。しかし、離陸滑走距離が長い点だけは最後まで解決できなかった。
朝鮮戦争が勃発すると、サンダージェットも実戦に投入された。しかし後退翼を持つソ連製のMiG-15ファゴットは本機よりも高性能だったため、空対空戦闘はノースアメリカンF-86セイバーに任せて、本機は対地攻撃に活躍した。とはいうものの、8機のMiG-15を撃墜したと伝えられる。
また、サンダージェットは朝鮮戦争中に空中給油を行い、実戦で初めて空中給油を実施したアメリカ軍戦闘機となっている。
このように、朝鮮戦争ではアメリカ空軍の対地攻撃の主役として活躍したサンダージェットだったが、後退翼を備えた型式の開発も進められており、同戦争には間に合わなかったものの、1954年からF-84Fサンダーストリークとして配備が進められた。しかし、これはまた別の物語である。