侵攻と迎撃の両任務に向けて開発された夜間戦闘機【ロッキードF94スターファイア】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第8回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

飛行中のロッキードF-94Bスターファイア。同型はまだマイティマウス空対空ロケット弾を装備しておらず、固定武装は50口径機関銃のみだった。
ごく簡単に説明すると、第2次世界大戦中の夜間戦闘機は、自機が搭載したレーダーだけで航法と索敵ができる「自立型」の機体と、地上レーダーにより大まかな接敵指示を受け、さらに細かい索敵を自機が搭載したレーダーでおこなう「要地上支援型」に分かれていた。
たとえば、前者の例ではイギリスのデハヴィランド・モスキート夜戦型やアメリカのノースロップP-61ブラックウィドウ、後者の例ではドイツのハインケルHe219ウーフーなどがあげられる。
特に「自立型」の夜間戦闘機は、レーダー航法が可能なため後に「全天候戦闘機」あるいは「侵攻戦闘機」などと称されるようになったが、第1世代のジェット戦闘機にも、当然ながら夜間戦闘能力(全天候能力)が求められた。しかしまだレーダーや航法装置が大型かつ操作が複雑なため、パイロットの他にレーダー操作員兼航法士が必要であり、第1世代の夜間戦闘機(全天候戦闘機)の初期の型式は、そのほとんどが複座機であった。
アメリカは、同国初の実用ジェット戦闘機F-80シューティングスターの練習機型T-33(初期名称はTF-80)が複座なので、同型にレーダーを搭載。さらにアリソンJ33ジェット・エンジンには、同空軍初のアフターバーナーを取り付けて出力を強化した夜間戦闘機(全天候戦闘機)F-94スターファイアを開発した。
当初、F-94の武装はP-80と同じく50口径機関銃だったが、対戦闘機戦闘であればさほど威力不足ではないものの、本来、迎撃の対象となる敵の大型爆撃機に対しては、同機関銃では威力不足が懸念された。
そこで第2次世界大戦中にドイツ空軍が使用した対大型爆撃機用のR4Mオルカン空対空ロケット弾の事例を参考にして、2.75インチFFARマイティマウス空対空ロケット弾を開発し、これの一斉発射により敵大型爆撃機の撃墜を狙った。というのも、開発目的とは矛盾するが航空機のような点目標に対する命中精度があまり芳しくなかったからだ。
しかし後に、この2.75インチロケット弾は空対地兵器としての発展を遂げることになる。
F-94は1950年から部隊配備が開始され、朝鮮戦争でも出撃してMiG15の夜間撃墜などいくつもの夜間撃墜を記録しているものの、敵に撃墜された機体に加えて、事故や原因不明で失われた本機も生じている。