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凡庸な性能ながら世界で2番目の実用ジェット戦闘機【グロスター・ミーティア】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第6回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        1945年3月、ベルギーの前進基地に展開したグロスター・ミーティア。ドイツのMe262への対抗策だったが一度も交戦しなかった。機体全体が白く塗られているのは、味方から見慣れぬ機体としての誤射を避けるため。

         1940年代初頭、イギリス空軍は実用可能なジェット戦闘機の開発を求めた。そこで老舗の航空機メーカーであり、1941年5月15日にイギリス初のジェット機グロスターE.28/39の初飛行を成功させたものの、戦時下にもかかわらず独自開発の第一線機を生産していなかったグロスター社に、その開発と設計を要請した。

         

         これを受けたグロスター社では、首席設計技師でE.28/39も手がけたウィルフレッド・ジョージ・カーターが中心となって開発と設計が進められた。

         

         高い機体強度とアズ・スーン、アズ・ポッシブルの生産性を重視した彼は、構造面で従来のレシプロ機の手法を利用。その一方で、E.28/39で経験した出力の低さ、スロットル操作に対する反応の遅さ、飛行姿勢と関連して起こりやすいエンジン停止といった、初期のジェット・エンジンが抱えていた弱点を熟知していたので双発を主張した。

         

         これに対してイギリス空軍は当初、単発機を求めていたが、当時のジェット・エンジンの実情を理解して、カーターの主張を全面的に受け入れている。

         

         既述のごとく既存技術で造れる機体は順調に完成したものの、搭載するエンジンが遅れてしまい、初飛行は1943年3月5日であった。しかも細部に諸々の問題もあってその解決に手間取り、1944年7月になって、やっと実戦評価へと進んだ。スーパーマリン・スピットファイアを装備する第616中隊に配備され、同機と混用されたのだ。

         

         そしてV1飛行爆弾の迎撃に用いられてそこそこの成果を得たが、当時のエンジンの構造上の問題で高Gがかかる高機動が困難だったため、戦闘機同士のドッグファイトは難しかった。1944年末にはヨーロッパ本土にも展開。すでに実戦で活躍していたドイツのジェット戦闘機メッサーシュミットMe262と空戦を交える可能性も考えられた。

         

         だが、エンジンのオーヴァーホール寿命こそ短いが、飛行性能に優れたMe262ともしも空戦を交えたなら、当時の初期型ミーティアでは、苦戦を強いられたのではないかと予想されたものの、両者が相見える機会はついぞなかった。

         

         初期にはジェット戦闘機のパイオニアとして、それなりの問題を抱えていたミーティアではあったが、第2次世界大戦後には逐次改良が施され、朝鮮戦争でも実戦に投入された。しかし後発のソ連製MiG-15ファゴットとの空戦ではきわめて劣勢で、25~30機程度が撃墜されたという。

         

         それでもイギリス連邦各国をはじめ、ベルギー、オランダ、イスラエルなどに採用され、1960年代後半まで運用されていた。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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