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初期の運用ミスにもかかわらず戦果を得た「蒼空の燕」【メッサーシュミットMe262シュヴァルベ】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第1回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        鹵獲(ろかく)されてアメリカ軍のテストに供されるメッサーシュミットMe262の複座夜戦型Me262B-1a/U1。

         ドイツ航空省からの要請で、メッサーシュミット社は1939年からヴォルデマール・フォークトを設計主務者としてジェット戦闘機の開発を開始した。その結果、機体の設計は比較的順調におこなわれたが、肝心のジェット・エンジンの開発のほうが遅れていた。

         

         以下に、このことをごく簡単に説明する。

         

         当時の技術では、いくらジェット・エンジンを搭載したとしても、水平飛行で1000km/h以上を出すことは困難と考えられていた。つまり亜音速(あおんそく)以下ということだが、この速度域であれば、高速レシプロ機と同様の機体設計ノウハウが通用するため、機体設計にはさほど困難はなかった。これに対して、レシプロ・エンジンとはまったく異なるジェット・エンジンの開発は、エンジンそのものの設計だけでなく、各部に使用される金属の質まで検討を加えなければならず、まさに「未知への挑戦」の部分が含まれていた。

         

         しかし、かような苦労を乗り越えて、Me262は1942年7月18日にジェット・エンジンを用いた初飛行に成功した。だが修正個所も多く、それに輪をかけて、ヒトラーが問題となった。彼は、祖国の空を守る戦闘機は防御兵器であり、敵国を爆撃する爆撃機は攻撃兵器であるという発想に基いて、Me262を戦闘機ではなく爆撃機として生産するよう命じたのだ。

         

         これに対して、自らエース・パイロットで戦闘機隊総監のアドルフ・ガーランド少将は自分でMe262の操縦桿(そうじゅんかん)を握って飛行し、その優秀さを理解したうえで、本機を戦闘機として量産すべきと主張した。彼は本機の優秀性をもってドイツ本土の防空を強化し、連合軍による爆撃を阻止。その間に爆撃で破壊された国内インフラの再生や兵器工場の生産性を向上させ、ドイツ全体の戦力のボトムアップを図ろうと考えていたのだ。

         

         ヒトラーの強硬な命令で爆弾架を取り付けられたMe262は、シュヴァルベではなくシュトルムフォーゲルの愛称で呼ばれたが、爆撃照準器もなく爆弾搭載量もたかが知れている本機は、案の定、ヒトラーが望んだ攻撃兵器にはならなかった。その後、ドイツ本土爆撃の激化にともなって、ヒトラーは爆撃機型だけでなく戦闘機型のシュヴァルベの生産も認めたが、時期を失していた。

         

         もうひとつ問題となったのは、すでに防勢となっていたドイツでは爆撃機パイロットが余っており、シュトルムフォーゲルが爆撃飛行隊に配備されたこともあって、爆撃機パイロットにシュヴァルベや後に登場する折衷の戦闘爆撃型も操縦させたことだ。だが戦闘機パイロットとして訓練を受けた者でなければ、空戦技は一朝一夕で覚えられるものではなかった。

         

         なので、かように劣悪な条件下での第2次大戦末期のシュヴァルベの活躍にかんがみて、もし最初からMe262が戦闘機として生産・配備されていたなら、ガーランドの考えのように、単に祖国の空を守るだけでなく軍需生産などにも好影響をもたらし、最終的なドイツの敗戦は避けられなかっただろうが、戦争の趨勢(すうせい)はもう少し変わっていたかも知れない。

         

         なお、Me262の総生産機数は1430機にもおよぶ。

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        過去記事

        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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