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改良型ながら世界水準に劣る“キツツキ”【92式重機関銃】

日本軍の小火器~大日本帝国の軍事力の根幹となった「兵士たちの相棒」~【第17回】


かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。


        対空銃架に載せられた92式重機関銃。しかし第二次世界大戦時の航空機を7.7mm程度の小口径(対空用としては)低威力の機銃弾で撃墜するのはかなり難しかった。

         1914年に制式化された3年式機関銃は、6.5mm38年式実包(じっぽう)を使用した。しかし列強各国は7.5~8mm級の実包を使用しており、弾丸重量が軽く発射薬量も少ない同実包に対して、陸軍は威力不足を強く感じていた。

         

         というのも、この6.5mm38年式実包は対人射撃時には相応の威力を示したが、軍馬のような大型動物への威力に欠け、さらに装甲車への射撃時も装甲貫徹力が大きく劣るだけでなく、対空射撃に際しても射距離と威力の面で劣弱に過ぎたからだ。

         

         そこで3年式機関銃をベースに口径を拡大のうえ不具合を改善するなどした後継の重機関銃として改修と設計が進められ、1933年に92式重機関銃として制式化された。幸いにも3年式機関銃の設計には、大口径化に耐えられるマージンがあったことから、銃そのものの開発作業は比較的順調に進んだ。

         

         これに対して、弾薬の開発と制式化がやや遅れるという珍しい事態となった。このとき、日本陸軍は新しい機関銃の開発に際して、新しい弾薬を合わせて開発するという手法を講じたが、当時の日本のように工業力・量産力ともに低い国家には愚策である。陸軍と海軍の枠を超えて、すでに量産性が確立されている既存の弾薬のなかから、もっともニーズに適したものを選ぶべきであった。

         

         第2次世界大戦中に新たに制式化された弾薬としては、アメリカのM1カービン用の.30口径カービン弾とドイツのStG44突撃銃用の7.92mmクルツ弾が代表的だが、片や「デモクラシーの兵器工場」こと工業大国アメリカ、片や銃器王国ドイツでのことであり、しかもそれらの弾薬の位置付けは、軍の基幹弾薬というわけではなかった。

         

         さて、こうして開発されたのが7.7mm92式普通実包だったが、のちに99式短小銃が開発された際には、同じ7.7mmながら薬莢形状と発射薬量が異なる7.7mm99式普通実包が改めて開発されるという、まったくもって信じ難い無駄がなされている。おまけに、あとから7.7mm92式普通実包の薬莢形状を7.7mm99式普通実包と同様にして、発射薬量こそ異なるものの互換性を持たせるという「すばらしい後追い改修」がなされたが、発射薬量の違いは弾道性能に大きく影響し、使用する弾薬の違いに合わせて弾道調整をしなければならないという、「現場の負担」を増やす「すばらしい是正」もなされている。

         

         発射速度が遅いうえ、1保弾板30発を連続射撃中に保弾板上の弾数が減ってくると、発射速度が徐々に速くなり発射音も微妙に速くなった。この射撃音の特徴から、連合軍将兵は92式重機関銃を“ウッドペッカー”の蔑称で呼んだ。

         

         しかも日本陸軍では、92式重機関銃の故障解消のため、他国の軍ではデポの武器課並みの重整備機材を最前線の機関銃部隊に配備。その結果、たった1挺の本銃を運用するのに他国の2~3挺分の人員を必要とするという無駄が生じたが、それほど故障の多い機関銃でもあった。ゆえに本銃を鹵獲使用した連合軍将兵たちには「ぶっ壊れたら捨てればよい員数外のポンコツ機関銃」と認識されていたようだ。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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