世界初の実用艦上ジェット戦闘機となった凡作【マクダネルFHファントム】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第10回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

いかにも極初期のジェット戦闘機らしく、主翼付根後縁のジェット排気管を見なければ、「プロペラのないレシプロ・エンジン機」といったシルエットに注目。
第2次世界大戦中のアメリカのジェット・エンジンとジェット機の開発は、以前にも記したように国内技術と、同盟国で「ジェット機の先輩」たるイギリスから移入された技術とによって進められた。
しかしアメリカは巨大な工業力を擁するゆえに優秀なレシプロ・エンジン機を多種類生産しており、まだ未熟なジェット・エンジン搭載の航空機を大慌てで実用化する必要性がなく、実用機の域にまで育ててから量産化するだけの余裕があった。
かような背景のなかでアメリカの陸軍航空軍と海軍航空隊はジェット機の実用化を「可及的速やかに」進めたが、海軍には大きな問題があった。それは、海軍機は特に空母への着艦失敗に際してウェーブ・オフ(着艦復航)をしなければならなかったが、初期のジェット・エンジンは急なスロットル操作に対するレスポンスが悪いだけでなく、このような操作によってエンジン停止を起こしかねず、ゆえにジェット機は艦上機にしにくかったのだ。
しかしジェット・エンジンは、あまりに大きな可能性を秘めた「未来の航空機エンジン」であった。そこで海軍も、実用ジェット機の開発を推進することになる。1943年初頭、マクドネル社の設計陣と海軍航空関係者が会合を持ち、同年8月末、海軍は同社に対してジェット艦上戦闘機を発注した。
マクドネル社は1939年に設立されたばかりの新興航空機メーカーだったが、以前に斬新なアイデアを盛り込んだ設計を軍に提出しており、それが認められての発注だった。ただし今回の発注に際して、海軍は斬新とは真逆の実用的信頼性を最優先で求めた。というのも、戦時下だったため、艦上機用エンジンとしてはまだ使いにくいジェット・エンジンを搭載した実用機として、できるだけ早く完成させたかったからだ。
FHファントムと命名された本機は、1945年1月26日にエンジン1基だけを搭載して初飛行に成功した。というのも、本来の本機は双発だったがエンジンの生産が遅れて、1基しか届いていなかったためである。
その後、ファントムは1945年3月に100機の生産発注がなされたが、終戦によって60機が生産されただけで終わった。
かくしてファントムは、世界初の実用艦上ジェット戦闘機となった。しかし戦時下に「慌てずに急いで」開発が進められた機体だけに、戦後はさまざまな「あら」が目立ち、追加生産がおこなわれることもなく、実戦にも投入されずに終わった。
ただし大幅に改修された型がF2Hバンシーとして継続開発され、こちらは朝鮮戦争に投入されている。またマクドネル社は後に、同社にとって記念すべき最初の実用ジェット艦上戦闘機である本機の愛称を受け継いだ、世界的傑作艦上戦闘機のF4ファントムIIを世に出すことになる。