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なぜ「カリフォルニア=リベラル地域」になったのか?① 〜カウンターカルチャーから政治運動へ〜

歴史でひもとく国際情勢


多様性・公平性・包摂性(DEI)に対して強硬な姿勢を取り、リベラル勢力に対する圧力を強めているトランプ政権。今回は、カリフォルニアがなぜリベラル地域となったか、歴史を読み解きつつ、リベラル・保守の溝が深まった理由について考えたい。


 

■深まりつづける保守とリベラルの「溝」

 

 米国では、国民の「分断」が深刻化しています。社会の進歩を望むリベラル=「民主党支持(ブルー)」か、伝統的な価値や規範を重んじる保守=「共和党支持(レッド)」のどちらの陣営につくかの分断です。

 

 リベラルが多い地域として知られるのがカリフォルニア州です。サンフランシスコやロサンゼルスを中心とするカリフォルニアは、「ブルー・ウォール」と称されるほど民主党が強く、米国の中でもニューヨークに並んでリベラル色が強い地域です。

 

 ここで、なぜカリフォルニアがリベラルの中心になったのか、歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 

 カリフォルニアは1848年に米国がメキシコから獲得し、19世紀半ばにゴールドラッシュが起きたことで人口が急増した土地でした。フロンティアの最前線であり、一攫千金を目指してやってきた独身の男性人口が多かったため、進取の精神があり、米国東部で強い伝統的な価値観とは異なる雰囲気がありました。

 

 そんなカリフォルニアには、貧困や抑圧、同性愛嫌悪、人種差別など様々な圧力から逃れた人々がやってきます。

 

 まずはエスニックグループです。西からはアジア系が、南からはラテン系(ヒスパニック)や黒人が、仕事や土地を求めて移住してきました。非白人は差別も根強く、第二次世界大戦が始まると日系人移民が強制収容所に入れられるなどの事象もありました。しかし移民は米国社会に適応し、社会的に成功する人物を多数輩出していきます。

 

 次に、同性愛者です。現在ロサンゼルスはLGBTQの人々の「聖地」とされていますが、1900年代はじめからすでにゲイバーなど、LGBTQの人々の社交場が存在していました。1920年代にはゲイバーは観光名所になったほどでした。

 

 最後に重要なのが、カウンター・カルチャーの愛好者です。19世紀後半にドイツでおこった自然回帰主義の若者が20世紀初頭にカリフォルニアに移住し、「ネイチャー・ボーイズ」と呼ばれるグループを形成しました。これは初期のヒッピー・カルチャーの愛好者です。

 

■初期は共和党が優勢だったカリフォルニア

 

 このように、カリフォルニアにはその形成段階から多様な人々が集まっていました。しかし、当時から政治的に「ブルー」だったというわけではありません。長年、カリフォルニア州では共和党が優勢でした。

 

 南北戦争後の数十年間、カリフォルニア州は共和党寄りでしたが、それ以降は民主党と共和党が鍔迫り合いをする激戦州となりました。大統領選挙では1952年から1988年までの36年間、1964年を除き、共和党はカリフォルニア州を制しました。

 

 この間、リチャード・ニクソン、ロナルド・レーガンというカリフォルニア州出身の共和党大統領も輩出しています。昔の共和党はリベラルな政策も取り入れ、極端に保守的な政策を実行して地元の有権者に嫌われることをしなかったということもあります。

 

■カウンターカルチャーから政治運動へ

 

 カリフォルニアがリベラル地域になった大きな理由の一つとして、カウンターカルチャーが盛んだったということがあります。

 

 第二次世界大戦後、故郷に戻り家庭をもった男たちが築いた社会は、「強い父親」を前提としたものでした。男性が職場に出て働き、女性は家を守る。米国経済が好調で失業率も低く、力で自由を勝ち取った男たちの自信が、そのような社会の雰囲気を醸成しました。

 

 しかしそんな家父長的な雰囲気で育った子ども世代が、両親世代に反抗するカウンターカルチャーを発展させていきます。

 

「働いて結婚しろ」と言う親の命令に歯向かい、仲間とつるんでマリファナやアルコールをやり、フォークやロックを聴き、歌い踊り、異性との奔放な恋愛を楽しむ。親の支配から逃れ自由を求める若者たちは、同じ雰囲気を求める仲間が集うカリフォルニアに向かったのです。

 

 カウンターカルチャー真っ盛りの頃、南部での差別により黒人たちがカリフォルニアへと移住してきました。これにより、1950年代半ばから隆盛しつつあった公民権運動が、カウンターカルチャーの若者の支持を得て、カリフォルニアで盛り上がっていきます。

 

 政治運動の矛先は、環境保護運動や女性解放運動にも向かい、1965年以降のベトナム反戦運動でピークを迎えます。ベトナム反戦運動はカリフォルニアだけでなく全米で盛り上がりをみせ、1973年のパリ和平協定を経て米軍撤退へと結実していきます。

 

 こうしてリベラル地域となったカリフォルニアですが、1980年代までは民主党と共和党の政治的な違いはさほど大きなものではなく、基本的な価値観(コアバリュー)を共有していました。しかし近年は互いにイデオロギーを先鋭化させ、それぞれ異なる価値観で駆動しているように見えます。

 

 米国では1990年以降、人口動態と産業構造の変化、価値観の多様化、経済のグローバル化が急速に進みました。その変化に適応できたか否かで、地域・世代・人種・宗教ごとに、大きな格差が生じていきます。

 

 格差は、人々の間に大きな溝を生じさせました。保守の人々が古くからの価値観をアップデートできない一方で、リベラルがどんどん価値観を上書いてしまい、溝は深まるばかりです。また、SNSの発展により、人々が自分と近い意見のコンテンツばかりを消費する「エコーチェンバー現象」も、両者の対立に拍車をかけているようです。

 

サンタモニカ

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尾登雄平おとうゆうへい

1984年福岡県生まれ。出版社にて勤務する傍ら、世界史の面白いネタを収集するブログ「歴ログ-世界史専門ブログ-」、YouTubeチャンネル「歴ログ-世界史専門チャンネル-」を運営。歴史ライターとしても活動し、ビジネス雑誌、企業オウンドメディア、会報誌などに寄稿する。著者に『あなたの教養レベルを劇的に上げる 驚きの世界史』(KADOKAWA)、『「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス)がある。

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