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子どもを使って“家柄コンプレックス”を克服した田沼意次 大奥・お知保の方との意外な関係とは?


大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第13回「お江戸揺るがす座頭金」では、鱗形屋(演:片岡愛之助)が再び偽板の罪で捕まり、知らせを受けた蔦重(演:横浜流星)は驚愕。その裏側には座頭金の存在があった。江戸城では、田沼意次(演:渡辺謙)が平蔵(演:中村隼人)に座頭金の実情を探るよう命じ、事態を重く受け止めて将軍・家治(演:眞島秀和)や次期将軍家基(演:奥智哉)に直訴。高利貸しで財をなす鳥山検校(演:市原隼人)らの取り締まりに乗り出した。今回は意次の板挟み感や生まれの低さによる立場の弱さも強調されたが、抜かりなく地盤を固めていた意次の人脈構築術を取り上げる。


 

■“足軽あがり”と揶揄されながら将軍の厚い信頼をバックに大出世

 

 作中でも度々揶揄されるように、田沼家は元々紀州藩士の家で、父の田沼意行は足軽だった。ところが部屋住み時代の徳川吉宗に見いだされ、吉宗が藩主になると奥小姓に取り立てられる。その後、意行は出世を続け、吉宗が将軍に就任してからも取り立てられた。享保9年(1724)には従五位下の主殿頭(とのものかみ)に任命されている。父・意行への吉宗の厚い信頼こそ、後の意次の立身出世のベースだった。

 

 意次は後の9代将軍家重の小姓となり、やがて家重が将軍の座を継ぐと御側御用取次に昇進して、名実ともに将軍の最側近となった。宝暦8年(1758)には一万石の大名にまで出世するのである。

 

 家重から絶大な信任を得ていた意次は、次の10代将軍家治の時代になっても重用され、側用人となった。そして明和6年(1769)に老中格にまで抜擢されたのである。この時意次は51歳、石高は2万五千石になっていた。そして明和9年(1772)についに3万石を抱える老中に昇格した。

 

 華々しい出世街道を歩んだ意次だが、元々の身分の低さから“成り上がり者”としてやっかみを受けることも多かったようである。それを緩和すべく、意次は姻戚関係によって自身の地盤を固めようとした。

 

 嫡男・意知の妻には、石見浜田藩主で意次に先んじて老中になっていた松平康福(演:相島一之)の娘を迎えている。さらに、息子たちを大名家の養子として送り出した。四男・意正は沼津藩主であり同じく老中の水野忠友、六男・雄貞は伊勢菰野藩主である土方雄年、七男・隆祺は丹波綾部藩主である九鬼隆貞の養子となった。意次にしてみれば家治の信任厚い人物と姻戚関係になることで自分の地盤強化に繋がるし、相手方としては幕政の実権を握りつつあった意次に取り立ててもらう算段もあった。

 

 さらに、三女は遠江横須賀藩主の西尾忠移に、四女は越後与板藩主の井伊直朗のもとに嫁がせた。いずれも幕府の要職に就くことができる由緒正しい譜代大名の家だ。

 

 意次は自分の立場を守るべく姻戚関係になった相手を積極的に登用した。また、自分の家臣の家と姻戚関係となった旗本なども取り立てたため、「意次やその家臣と姻戚関係になれば出世できる」と次々縁組の話が舞い込むようになったという。

 

 もう一つ、地盤強化に欠かせなかったのが「大奥と良好な関係を築くこと」だった。意次は大奥の高岳と手を結んで大奥からのバックアップも手にしていたとみられている。さらに、キーパーソンになるのが次期将軍・家基の生母になったお知保の方だった。

 

 お知保の方は元々旗本である津田信成の娘である。家重付きの御次から家治付きの御中臈となった。この背景には、なかなか男子が生まれない家治に対し、大奥と結託した意次が側室を迎えるよう強く進言したという経緯があった。

 

 そのお知保の方の弟・津田信之は姉のおかげで一気に出世することになるが、その側室だったのが奥医師だった千賀氏の娘だった。千賀氏は元々町医者だったが、意次に取り立てられて将軍や大奥の女性を診る奥医師に出世していた。そして、意次の側室だった“神田橋のお部屋様”と呼ばれる女性は、その千賀氏を仮親としていたのである。

 

 つまり意次は千賀氏を介した姻戚関係によって、お知保の方とも近しい関係にあったのである。贈り物も欠かさず、次期将軍生母との良好な関係を維持しようとしていたらしい。

 

 このように、意次は自身の生まれに反してスピード出世を遂げる過程で、姻戚関係によって幕府の要職に就いていた大名や旗本を自分の派閥に取り込み、win-winの関係を築くことで地盤を固めていた。子や孫、親族や家臣の婚姻によって構築した人脈によって“家柄コンプレックス”を克服しようとしたのである。

 

<参考>

安藤優一郎『田沼意次 汚名を着せられた変革者』(日経ビジネス文庫)

出典:イラストAC

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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