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インバウンドから逃れたい! GWにサクッとまわれる関西の穴場【龍田古道/大阪府〜奈良県】聖徳太子、龍田古道で笛を吹く。そのココロとは?

インバウンドから逃れたい! 「歴史&絶景」1日で巡れる関西の穴場

 


有名だがいつもひっそりと静かに迎えてくれる龍田古道・亀の瀬。聖徳太子との縁も深く、太子が残した唯一の万葉歌も龍田古道を詠んだもの。のんびりと歴史を感じなから絶景も楽しめる。そんな歴史散策の穴場を紹介。1日でサクッとまわれるおすすめスポットだ。


 

■日本遺産の古道に線刻壁画の古墳あり

高井田横穴古墳群で見られる石室のひとつ(左)。船を操る人、踊る人が描かれた線刻壁画の復元(右)。撮影:本渡 章

 大和と難波を結ぶ古代の官道、龍田古道は静かな道だ。なかでも日本遺産になった亀の瀬エリアは、いつ訪れても竹林の風の音、大和川のせせらぎ、鳥の声ばかり。山と川に挟まれたのどかな細道を行けば、聖徳太子の伝承地をはじめ古代から近代までの彩りゆたかな史跡、名所と出会う。大阪の南のターミナル天王寺駅から約20分、都心の近場にこんな歴史散策の穴場があったとは驚きだ。

 

 歴史散策のスタートはJR大和路線の高井田駅。降りると目の前が高井田横穴公園で、67世紀築造の横穴古墳群がある。『日本書紀』に難波より都に至る大路と記された龍田古道の完成は推古天皇在位の613年だ。当地の古墳は古道と前後して生まれた。古墳の石壁に残る線刻壁面と対面すれば、描かれた人や鳥、船の素朴さの奥に死者を慰め彼岸に送る古代人の祈りを感じる。高井田駅の近くには松岳山(まつおかや)古墳もある。石棺のまわりに置かれた立石はいったい何のための造作なのか、謎を秘めて今も研究者を悩ませる。

 

 古道はやがて大和川の畔(ほとり)に至り、聖武天皇が行幸中に宿泊した竹原井頓宮の跡に着く。難波と大和の中間点にあたり、一帯の地形は島山(川に突き出た島)と呼ばれ、うねる川筋を眼下に臨む。万葉の長歌に「島山をい行き廻(めぐ)れる川沿ひの岡辺(をかへ)の道ゆ」「峰の上の桜の花は瀧の瀬ゆ散るらひて流る」と詠まれた景勝地に、今は小さな吊り橋が架かる。

 

■聖徳太子の伝承と万葉歌に秘められた古代人の祈り

日本遺産の亀の瀬の風景。大和川の中に見える大石が亀岩。川の流れが河内国と大和国(奈良県)の境界となる。撮影:本渡 章

 河内堅上(かわちかたかみ)駅の前を過ぎると古道は龍田山と大和川の狭間を行く細道になる。竹林が迫り、地蔵の祠が建ち、大和川がかたわらを流れ、遠くに川を斜めに渡る鉄橋が見えたら、そこは日本遺産・亀の瀬。聖徳太子の伝承地だ。川上に向かい流れを割って頭をもたげる奇岩、亀岩が散策者を迎えてくれる。

 

 かつて龍田古道を訪れた聖徳太子は亀の瀬で笛を吹き、音色にひかれて現れた信貴山の神が老猿の姿に変じて舞い踊った。これが四天王寺に伝わる舞楽「蘇莫者(そまくしゃ)」の起源とされる伝承で、蘇莫者とはサンスクリット語の「美しい詩」あるいは「莫者(貴人)」の「蘇(よみがえり)」を意味するという。

 

 万葉集で唯一の聖徳太子作とされる歌も龍田古道を詠んだものだ。「家にあれば妹(いも)が手まかむ草枕旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ」(現代語訳:家に居たら妻の手を枕としていただろうに、草を枕に倒れているこの旅人よ、あわれにも)。龍田古道の亀の瀬は、生駒山地に連なる竜田山と大和川にはさまれた狭い行路だ。この地は古来、何度も地すべりによる土砂災害が起きた旅の難所だった。聖徳太子が旅の難所の亀の瀬で笛を吹いたのが、古道で行き倒れた旅人のために詠んだ歌と同じ心とすれば、それは鎮魂の音色であっただろう。太子は山間の神々に祈りの音色を捧げつつ、自らの旅の無事を願ったのである。

 

 脅威をもたらす龍田の自然は太子の笛に応えた。信貴山から降りてきた神は老猿に化身し、音色と一体となって舞い、旅する太子を守護した。この笛と踊りの宴には、人と神が混然となって天地を鎮め、生命を育む心が宿っていると思う。

 

■亀瀬隧道のドラマと風神の大社を訪ねて

亀の瀬地すべり歴史資料室は、古道の昔から鉄道の現代までの地すべり災害と人の営みの交わりの歴史を伝える。撮影:本渡 章

 時代が下り、昭和6・7年の地すべりでは旧大阪鉄道亀瀬隧道(かめのせずいどう)が圧壊し、その後80年間埋もれた末に一部が発見されるというドラマもあった。今、亀の瀬では地すべり歴史資料室が災害の記憶と復興の道のりを多くのビジュアル資料で公開。旧大阪鉄道亀瀬隧道跡の地下トンネル見学(要予約)も実施している。

 

 古道散策の最後は風の神、天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)・国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)を祀る龍田大社へ。創建は崇神(すじん)天皇の時代にさかのぼり、金剛・生駒の山並みの切れ目、風の通り道に座して、大和の都を風災害から守護してきた。荒れた風は災害をもたらし、柔らかな風は稲の受粉を促し豊穣をもたらす。風は良き循環をもたらし、世の調和をはかる。聖徳太子が説いた「和をもって尊しとなす」(十七条憲法)の心にも通じる古社である。

 

創建は崇神天皇の時代とされ、きわめて古く、龍田の地から万物生成の気の恵みをもたらしてきた。撮影:本渡 章

 龍田大社は三郷駅の近くにある。駅から再びJR大和路線に乗り、東へ向かえば法隆寺駅、平城山駅だ。西に行けば天王寺駅へ。その名はもちろん聖徳太子が建てた四天王寺にちなむ。大和と難波の間で、古道も鉄道も時代を超えて聖徳太子とつながっている。

 

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過去記事

本渡 章ほんど あきら

1952年生まれ。作家・古地図コレクター。1996年、第3回パスカル短篇文学新人賞優秀賞受賞。著書に『図典「摂津名所図会」を読む』『図典「大和名所図会を読む』『古地図が語る大災害』『カラー版・大阪古地図むかし案内』『京都名所むかし案内』(以上、創元社)、『鳥観図!』『大阪古地図パラダイス』『古地図で歩く大阪ザ・ベスト10』(以上、140B)など。他に編著『超短編アンソロジー』(ちくま文庫)、共著『飛翔への夢』(集英社)など。

 

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