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「地元民が記録を消した」説も… ヤマト王権の「本当の発祥地」は柏原なのか? 【古代史ミステリー】

日本史あやしい話


『日本書紀』には、神武天皇が「橿原(かしはら)」の地で即位したと記されている。それは、現在の橿原の地とみなされて明治時代に橿原神宮が築かれたが、実はそこではなく、「柏原」の地が本当の宮跡だとの言い伝えもある。いったい、どういうことなのだろうか?


 

神武天皇が即位した宮跡は、橿原か柏原か?

 

 神武天皇といえば、いうまでもなく、ヤマト王権の初代天皇として知られる御仁である。即位してからは、始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)、つまり初めて天下を治めた天皇と称されたことからもわかるように、建国の立役者として、その業績が讃えられたものであった(第10代崇神天皇も同じ読みである御肇國天皇と称されたところから鑑みて、この二人が同一人物とみなされることもある)。

 

 まずはその生誕から振り返ってみたい。一般的には、宮崎県高原町の狭野で生まれたとみなされているようである。そこに鎮座する狭野神社にほど近い皇子原神社で生まれたという。

 

 ただしそれ以降、15歳で皇太子になったことだけは記されているものの、45歳の時に東征の旅に出るまでの事績は、ほとんど何も記していない。そのせいもあってか、実在が疑われることも少なくない。

 

 出立の日は10月5日、出港地は明記されないまま、速吸之門(豊予海峡か)を通って宇佐、筑紫国の岡水門、安芸国の埃宮、吉備国の高島宮を経て、河内国草香村の青雲の白肩津(しらかたつの)に上陸したと記録しているのだ。

 

 ところが、白肩津に上陸して生駒山を越えようとしたものの、当地の豪族・長髄彦(ながすねひこ)に行く手を阻まれて後退。その後、兄が戦死するなど、数々の試練を乗り越えて、ようやく長髄彦を討伐することができた。

 

 東征を開始してから6年(『書紀』による)、「畝傍山(うねびやま)の東南の橿原(かしはら)」に宮を築いて即位。それが辛酉(かのととり)の年の春1月1日であったとか。辛酉の年に天命が改まって王朝が交代するという、中国の辛酉革命説を踏まえてのことである。これが、ヤマト王権の始まりであった。

 

■宮跡指定による「立ち退き」を恐れた?

 

 問題は「畝傍山の東南の橿原」がどこであったのかであるが、実は江戸時代まで、長らくその正確な場所はわからなかったようである。明治時代に入ってから調査を開始。明治23(1890)年になってようやく、現在の橿原の地に橿原神社(後に神宮に改称)が築かれたのだ。

 

 ところが、江戸時代の国学者・本居宣長が著した『菅笠(すががさ)日記』には、それとは異なる説が掲載されている。宣長によれば、「畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里余り西南にあることを里人に聞いた」という。宮殿があったのは橿原ではなく、柏原だったというのだ。奈良県御所市柏原にある神武天皇社がそれである。

 

 その社伝として伝えられるところによれば、当地の住人たちもそこが、もともと宮殿のあった場所だということを知っていたようである。それでも、表沙汰になると、宮跡に指定されて立ち退かざるを得なくなってしまう。

 

 それを恐れて、証拠となる資料をことごとく焼却してしまったのだとか。そういう経緯もあって、当地の存在が記録から抹殺されてしまったという。

 

 ちなみに、この神社の北西に標高143mの小高い丘・本間山がそびえているが、それが、神武天皇が国見をした「掖上(わきがみ)の嗛間(ほほま)」であったとも。今となっては、真偽のほどは確かめようもないが、地元の伝承の方に真実味がありそうで、こちらを信じたくなってしまうのだ。

 

 ともあれ、ものは試しと、天皇が国見をしたという本間山に登ってみた。そこで目にしたのは、どこまでも広がるのどかな家並みであった。今も当時の庶民の暮らしぶりが、手に取るようにわかりそうな気配である。

 

 天皇は国見の際、豊作の象徴と見られるトンボが飛び交う様を見て実り豊かなところであることを実感したという。本間山でも、その風情は感じられるように思えた。

神武天皇が即位したところと言い伝えられる神武天皇社。すぐ近くに天皇が国見をしたという本間山もそびえている/撮影・藤井勝彦

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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