2027年大河ドラマの主役・小栗上野介忠順って誰? 幕末に新たな国のあり方を模索し近代日本の礎を築いた男の生涯
2027年のNHK大河ドラマが『逆賊の幕臣』に決定し、主演を松坂桃李さんが務めることが発表された。ここでは大河ドラマの主人公となる小栗忠順(おぐりただまさ)という人物がどのような生涯をおくったのかを、時代背景とともに簡潔に解説していく。
■動乱の幕末において徳川将軍家を支えたエリート
小栗忠順は、江戸幕府12代将軍の家慶、13代家定、14代家茂、15代慶喜という4人の将軍に仕えた、幕末期の幕臣だ。
小栗は文政10年(1827)に江戸駿河台の屋敷で誕生。父は新潟奉行を務めた小栗忠高である。安政2年(1855)に家督を相続した頃の日本は、黒船来航を機に長年続いた安寧の世が揺れ動いており、小栗もその波に身を投じていくことになる。
安政7/万延元年(1860)、日米修好通商条約の批准書交換のために、幕府使節の1人として渡米。フィラデルフィアで行われた通貨交換比率の見直しの交渉の席についたり、ワシントンの海軍工廠の見学などを行ったりした。こうした経験から、小栗は海外の技術が日本より大幅に進んでいることを身をもって知ったといわれている。
その後、大西洋を越えて“世界一周”を果たす形で品川に帰着。この一連の遣米使節の功績が認められて外国奉行に任命された。その後は勘定奉行、江戸町奉行、陸軍奉行、軍艦奉行など、幕府の要職を歴任して、徳川の世を支えるべく活躍していく。
また、横須賀製鉄所の建設も特筆すべき功績だろう。莫大な費用がかかることから幕府内部からの反対も大きかったが、実際に海外で目にした先進的な技術を日本に取り入れるために、スピーディーに事を進めて押し切るという豪胆さも持ち合わせていた。
さらにその横須賀製鉄所のトップにフランス人を任命するという異例の人事を断行し、経営学や人事労務などの基礎を日本に導入することにも成功している。加えて、横浜仏蘭西語伝習所の設立や銃砲製造の改善、日本初の西洋式火薬工場の建設、陸軍の軍事改革などにも関わった。
新たな国のあり方を構築していく立場として、様々な取り組みを推し進めていった小栗の存在感は極めて大きかっただろう。長い鎖国時代が終わりを告げて新たな世の幕開けを感じるなか、経済・軍事・外交の面で幕府に貢献し続けた人物であり、「明治の世における日本の近代化の基礎をつくった人物」とも称される所以はここにある。
小栗の運命が大きく狂ったのは、15代将軍慶喜による大政奉還の後である。小栗は恭順論を述べる勝海舟とは反対に徹底抗戦を唱えた。「薩長軍が箱根をおりてきたところを陸軍で迎撃、艦砲射撃で後方部隊も壊滅状態にして薩長軍をせん滅する」という作戦を提案したが、これは慶喜によって退けられる。後にこの策を聞いた大村益次郎は「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」と恐れたそうだ。そして慶応4年(1868)1月、役職すべてを罷免され、上野国群馬郡権田村(現在の群馬県高崎市)へ家族と共に移り住んで、静かに余生をおくろうとしていた。
しかし、間もなく「軍資金を江戸城から運び出して新政府に対する反乱を企てている」という嫌疑をかけられてしまう。新政府軍側の東山道総督府に対して恭順の意を示し、抵抗もしなかった小栗だったが、最終的に捕縛され、まともな取り調べもなされないまま慶応4年閏4月6日に42歳で斬首された。
この出所不明の嫌疑と非業の死は「徳川埋蔵金伝説」と絡んで、現代まで伝わっている。大河ドラマでは「幕末史の裏側」を描くということで、激動の時代を駆け抜ける新たな小栗忠順像を楽しみにしたい。

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)