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【Mummy-D×KOHEI JAPAN】戦乱の世で国境を守った津久井城&北条対武田激戦の地・三増峠を巡る歴史旅

Mummy-D&KOHEI JAPANの遠い目症候群#08

<Mummy-D&KOHEI JAPANの今日も遠い目で一献!>

 


歴史を肴に、美味しいお酒とお料理を堪能しながらゆるゆる語らうコーナー。

津久井城攻めで疲れた体をアルコールで満たしながら、1日を振り返ります。

執筆/織江賢治


城攻めのあとのビールは格別にウマい!

Mummy-D(以下D):っっっっっっぷはぁ~。やっぱり山城を攻めた後のビールは美味いねえ!

 

KOHEI JAPAN(以下コ):最高よね! 

 

D:で、早速ですが、本日の津久井城はどうだった?

 

コ:北条ゆかりの城よね。実は最近やっと北条五代の文庫本を読んで、後北条というのを知ったばかりでさ……。

 

D:えっ最近知ったの? めちゃめちゃ初心者じゃん! てか去年行った八王子城は何だと思ってたんだよ(笑)。でもいい。その正直な感想はいいですよ。

 

コ:北条は全部一緒だと思ってたんだけど、早雲から後北条が始まったというのを理解できてなかったんですよ。それが分かって、改めて後北条って関東にすごい領地を広げてたんだなあって思って。小田原城から北側の山の際に城をいくつも整備して、武田とやりあってたっていう知識がやっと入った。

 

D:やっと入ったのかよ(笑)

 

コ:それでもって津久井城も、その防御のための城なんだろうなってのは想像できてたんだけど、やっぱり西からの防御の城で、主に武田軍が攻撃してくるのを想定して作られたの?

 

D:そう。もともとは鎌倉時代からあったっぽくて、それを北条が整備して運用したって感じ。

 

コ:当たった(笑)。

 

D:いやさ、神奈川県民は津久井湖は知ってるじゃん? でも相模湖、宮ケ瀬湖と同じでダム湖だし、山梨方面に行くときに通る場所って感じじゃん? 釣り人じゃない限りはあんまり「津久井湖行こうぜ」っていう風にはならないよね。だけど逆に考えると、山梨から神奈川や東京方面に出るにはそのルートしかないわけじゃん? 

 

コ:だから北条が津久井城を整備したってコトだよね。今日は雨だったしスタッフ共々登るつもりはなかったんだけど、登っちゃった。晴れてたらもっと良かったんだけど、身をもって城の状態を知らないとね。

 

D:お、分かってるじゃん! で、本当は本城曲輪のあたりで「津久井湖は当時は存在しない状態だよなぁ」とか、そのうえでこのくらいの規模の山がここにあって、甲州方面からこうやって武田が攻めてきたとか、そのあと行った三増峠との位置関係なんかを考えながら遠い目したかったんだけどね。

 

コ:オレは去年行った八王子城の時みたいに、山頂はどうせ木に囲まれてんだろうなって思ってた。登っても景色が見えずに薄暗いなかで疲労感だけが押し寄せてきて、達成感がないんだろうなって(笑)。

 

D:山城あるある(笑)。ただ当時は木がなくて、禿山に近い状態だったらしいよ。江戸時代末期に伊豆韮山の代官だった江川英龍という人が植林したみたい。今日も草に埋もれてたけど、縦の堀切とかなんとなく分かったし、ほかにも畝堀とか北条の城に出てくる防御施設がいろいろあったんじゃないかなって想像できた。

 

コ:そうなんだ。確かに標高自体はそんなに高くないんだけど、すごい急斜面で登りにくかった。これを攻めるのは大変だろうなって思った。

 

D:だから三増峠の戦いのときには三軍で囲んで、攻めるのではなく、城詰めの内藤軍が出てこれないようにしてたからね。津久井城の背後は相模川の断崖で、そのほかは急斜面。雨だったから足元が余計におぼつかなかったね。

 

コ:でも雨なりの雰囲気はあったよね。ガスってて誰もいないから余計に幻想的な感じがあった。

ⓒ歴史人

D:そうそう。とくに頂上の後に寄った飯縄神社は霧がかかって幻想的というか、まさに幽玄だよね。水墨画みたいな世界。それが見られたのは満足できたところかな。

 

コ:そのあと宝ヶ池とか探したけど、全然見つからなくて笑ったよね。道を外れた場所にあるのかな? そうなるとハードルは高いな。

 

D:あれで時間を使ったおかげで三増峠のほうは時間的にもギリギリになっちゃったね。ただ、碑の向こう側に武田が陣を張っていたとか、こっち側に北条が最終的には敷いたとか、位置関係が分かったのはすごく良かった。

 

コ:あのさ、陣形図に川越とか深谷とかトキとかトウカ子とか書かれてあったけど、あれは何?

 

D:全部地名だったよね。おそらく北条氏の支城を持っているところの人たちで、北条の川越衆がここ、深谷衆がここって。ただトキとかトウカ子は分からないなあ。残っている史料にこう書いてあるから、こう書くしかないみたいな。

 

コ:なるほど。で、三増峠の戦いは最初北条が優勢だったけど、徐々に劣勢になっちゃって、氏康からの軍勢も遅くなり負けちゃったんだっけ?

 

D:そうそう。山縣昌景の別動隊が北条の背後をついたんだって。それで一気に北条が劣勢になっちゃったんだって。やっぱり信玄強ぇなって。後詰めの北条氏政隊が厚木くらいまで来てたんだけど(※荻野新宿まで。ちょうど県央厚木ICの真西)、それが間に合わなかったみたい。

 

コ:じゃあ作戦通りいけば、武田をやっつけられる。それこそ敵の大将を獲れたかもってこと? 信玄的にもあのタイミングは「サベぇ」みたいな感じだったのかな?

 

D:サベぇってなによ(笑)。

「もしかしたらやられちゃうかも」ってこと? でもそこまでの危機感は感じられないんだよなぁ。浅利信種を失くしたのは痛手かもしれないけど、信玄は氏康とかと同世代だから「お前らみたいなガキに負けるかよ」みたいなノリだったと思うよ。

 

コ:そのあと合戦首塚にも行ったけど、真っ暗になっちゃったから、それが心残りではある。

 

D:ですな。近くには胴塚や浅利信種の墓もあるらしいので、そっちも行きたかったね。それじゃ最後に、本日の点数と行きますが、今日はコーヘイは何点くらい?

 

コ:おれは……2.5点かな。北条の一番のメインである小田原城はすでに見ちゃったけど、今後もいろんな防御のスキルとか築城の技術とか俺はもっと知れるんだろうなって意味でフラットです。でもすごい重要な場所だったってのは分かったよ。

 

D:なるほど。おれは2点かな。満足度じゃなくて、もっと見たかったなってのがあってさ。三増峠の戦いはもっと尾根みたいなところで戦っていたのかなって思ってたら意外と開けてて、やっぱり現地にいかないと分からないことがあったし、「あっち側からこう来たか」とか「別動隊がこうまわったか」とか、そういう歴史好きの気持ち悪い楽しみ方がリアルにできたから価値があったし楽しかったよ。ただ天気と時間の制限もあって「またいつか」の期待を込めてって感じかな。

 

コ:もしも北条五代が大河ドラマ化されたら、もう一度押さえておきたい場所だよね。

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Mummy-D&KOHEI JAPAN(まみーでぃーあんどこーへいじゃぱん)
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Mummy-D(兄)
1970年横浜市生まれ。ラッパー、プロデューサー。1989年に宇多丸と出会いRHYMESTERを結成。日本のヒップホップ・シーンを、黎明期から開拓、牽引してきた立役者。近年は益々旺盛な音楽活動に加えて、役者業や、歴史好きが高じて、歴史にまつわるトークショウに登壇したり、桑名市の歴史観光PRアドバイザーを務めるなど、活躍が多岐にわたる。近作に6月リリース、ライムスター・アルバム『Open The Window』(Billboard週間8位/Billboard配信1位/オリコン週間12位)。キャリア34年目にしてソロデビュー! Mummy-Dシングル「同じ月を見ていた feat. ILL-BOSSTINO」配信中。2024年2月16日にはツアーファイナルとして日本武道館公演を大成功させた。
HP: https://www.rhymester.jp
Instagram: @mistadrunk

 

KOHEI JAPAN(弟)
1971年横浜市生まれ、ラッパー、プロデューサー。1994年、ラッパーのKINらとメローイエローを結成。マチズモとは一線を画す、等身大でユニークな世界観が、その後の日本のシーンに多大な影響をもたらしている。またソロアーティストとしても活躍。「生活レベルの喜怒哀楽」を巧みにヒップホップに昇華して、報道番組、新聞各紙などでも特集されてきた。兄とともに歴史好きとしての一面も持ち合わせ、明治維新150年という節目に、佐賀藩の歴史をラップで紹介、肥前名護屋城跡PRムービーの楽曲制作を行うなどの活動も。近作に8月リリース、KOHEI JAPANシングル「Dance In The Dark」が配信中!
Instagram: @koheijapan_

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