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「オリンピック史上最大の不正・不祥事」とは? 完走してないのに優勝、開催年を勝手に延期…「暴君・ネロ」が行った暴挙…

オリンピックの歴史

■皇帝の意のままに実施された「67年のオリンピック」

 

ゼウス神に捧げたオリンピック発祥の地・オリンピア遺跡

 

 現在、フランス・パリで開催されている祭典は「近代オリンピック」と呼ばれるもので、1896年にはじめられた大会である。が、それよりもはるか昔、オリンピックの起源とされる古代オリンピックというものが存在した。この競技祭はいったい、いつごろ、だれがはじめたのだろうか?

 

 はじまりは、古代ギリシアの時代にさかのぼる。紀元前776年にエリスという国の王イフィトスが開催したものが第一回オリンピック競技祭である。この祭典はその後、393年まで、実に1100年わたり開催され続けたという。

 

 この歴史と由緒ある古代オリンピックの歴史のなかで、権力を使って、とんでもない不正・不祥事を起こした人物がいたことをご存じだろうか?──

 

 オリンピックパリ大会前にも、日本選手のなかで不祥事は起こったし、毎回大なり小なり、不正や不祥事は残念ながら起こってしまうものだが、そんな現在の問題とは比べものにならないほどの規模での問題を起こしている人物が、世界中の人々が知っている第5代ローマ皇帝・ネロである。

 

皇帝ネロ(イメージ)

 

 ローマ帝国時代も競技祭は賑々しく開催されており、人々を集める一大イベントとして盛り上がっていたと伝えられる。

 

 そんな祭典を汚すような、暴挙ともとれる行動をネロ帝は行っているのだ。ネロは自分の趣味趣向にあわせて、悲劇の競技や音楽競技を追加。自らも参加できるように、仕様変更を実施した。またはじまりから頑なに守られていた4年に1度という伝統を崩し、開催年を自分の都合に合わせて、2年延期させてしまったのだ。

 

 ネロの暴挙はこれだけではおさまらない。自らが出場し優勝までしている。この優勝が実力によるものならばまだしも出場した戦車競技では途中で戦車から投げ出された上、完走すら果たせないまま、当時の最高権力者である皇帝に逆らえるはずもない審判たちは「完走すれば優勝したはず」との理由でネロを優勝者とした。

 

 音楽競技でも、その悪道ぶりを発揮。現場に立ち会った政治家であり、歴史家でもあったスエトニウスなどは音楽競技での不当性を非難している。「ネロの歌声は雌牛よりもひどい声」だったと残している。

 

 競技に参加したネロは上記のような手で優勝という名誉を手にしたが、ネロの死没後、審判者たちはネロが開いた67年の大会そのものを無効とし、優勝者リストからネロの名を抹消したのだった。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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