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切なすぎる! 出産してすぐ愛人に殺された、光源氏の妻「葵の上」の“悲運”とは

日本史あやしい話38


プライドが高く、感情を容易には表に出さない姫君であった葵の上(あおいのうえ)。夫・光源氏を見る目も、実に冷ややかであった。それでも、10年目にして少しずつ状況が変化。妊娠後、つわりで苦しむ妻を、光源氏も愛おしく思えるようになってきたという。しかし、出産直後に夫の愛人から呪い殺されるという悲運。ついには幸を得ることもなく、この世を去ってしまったのである。いったい、どのような女性だったのだろうか?


 

■ツンデレだった葵の上

 

「薄幸の女性」と言えば、筆者がいの一番に思い起こすのが、『源氏物語』に登場する葵の上である。主人公・光源氏の正妻であったのに、結婚当初から夫に愛されることもなく、心を通わせることもできないまま、若くして夫の愛人に呪い殺されてしまったという女性であった。

 

 父は左大臣(名は不明)、母は桐壺帝(きりつぼのみかど)の妹・大宮である。光源氏自身も桐壺帝の息子だから、葵の上は光源氏にとって従姉ということになる。歳も、葵の上16歳、光源氏12歳と、4つも年上の女房であった。

 

 もともと東宮(後の朱雀帝)の妃(つまり後の皇后)となるように育てられていたというが、どういう思惑があったものか、左大臣の意向によって、東宮の弟・光源氏に嫁がされてしまったようである。

 

 葵の上にしてみれば、「皇后になれたはずなのに」と、憤懣(ふんまん)やるかたなしとの思いがあったに違いない。兄の頭中将から夫の女遊びの派手さを耳にしていたこともあって、半ば卑下するかのような思いまで、表情ににじみ出ていたのかもしれない。

 

 高貴な出自でプライドが高く、感情の起伏を表に表すこともなく冷ややか。いわゆる、ツンデレを絵に描いたような女性であった。世の中には、ツンデレが好きな人もいるが、光源氏にはそんな趣味はなかった。人並みに、優しく微笑んでくれるような妻を求めていたのだろう。

 

 いつ見ても、ツンと澄ました表情のまま。声をかけても、冷ややかな目線を投げかけられるだけとなれば、夫の足が遠のいたとしても無理なさそうである。

ところが、そんな冷たい夫婦関係も、10年ほど続いたあたりから、少しずつ状況が変わってきたようである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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