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碁で勝ちすぎて斬り殺される→飼い猫が「化け猫」になって仇討ち!? 「鍋島化け猫騒動」とは

日本史あやしい話33

 

史実としての鍋島騒動

 

 実はこの化け猫騒動、主家と臣下が入れ替わった龍造寺氏と鍋島氏の因縁が元でった。まずは、なぜ、入れ替わることになったのかに目を向けてみたい。

 

 時代を戦国時代にまで遡ってみよう。もともと肥前国(佐賀県および長崎県の一部)を支配していたのは龍造寺氏である。戦国大名としてのし上がった龍造寺隆信が、島津氏および有馬氏との連合軍との戦いに敗れて戦死したことが、そもそもの発端であった。

 

 隆信といえば、仕えていた少弐氏を押しのけて勢力を拡大した御仁。島津氏や大友氏と並んで「九州三強」と称えられた大名家の一員で、冷酷非情なところから「肥前の熊」との異名をもって恐れられていた。

 

 その隆信が亡くなって跡を継いだのが嫡男・政家であったが、こちらは父と違って病気がちで、しかも凡庸。これを危惧した家臣団に推挙された家老・鍋島直茂が、国政を任されたのである。政家は、隠居させられたような形になってしまったのだ。時が流れ、秀吉の世を経て家康の世となった際には、名実ともに鍋島家が正式に、佐賀藩主の座へ。

 

 もちろん、龍造寺氏にとっては納得のいくものではなかった。政家の子・高房が幕府に対し再三、龍造寺家の再興を願い出るも、叶えられることはなかった。これに憤慨した高房が精神を病み、挙句、江戸桜田屋敷において鍋島氏の娘であった夫人を殺し、自らも自害しようとしたのである。

 

 一旦は一命を取り止めたものの、結局、その傷がもとで半年後に死去。1ヶ月後には、父・政家もあとを追うかのように亡くなってしまったのである。ここにおいて、龍造寺宗家は断絶。それ以降、佐賀城下に、白装束姿で馬にまたがる高房の亡霊が現れると噂されるようになったという。

 

 さらに、主家であった龍造寺氏を追い落とした形となった鍋島直茂も、死の間際には耳に腫瘍ができ、その激痛に苦しみながら息絶えたと言われている。これも高房の亡霊の仕業ではないかと噂された。これら一連の騒動が、後の鍋島化け猫騒動へと姿を変え、今日まで言い伝えられるようになったのである。

 

・画像:一寿斎芳員『百種怪談妖物双六』,和泉屋市兵衛,安政5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1310691 (参照 2023-12-21)編集部にてトリミング

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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