空母不足の解決策の一環として「大変身」:伊勢型1番艦「伊勢」
日本海軍の誇り・戦艦たちの航跡 ~ 太平洋戦争を戦った日本戦艦12隻の横顔 ~【第7回】
空母が出現するまで、海戦の花形的存在だった戦艦。日本海軍は、太平洋戦争に12隻の戦艦を投入した。そしていずれの戦艦も、蒼海を戦(いくさ)の業火で朱に染めた死闘を戦った。今回は、日本海軍が純国産で設計・建造した超ド級戦艦「扶桑(ふそう)」型の欠点を是正した準同型艦の1番艦で、後に空母不足解消のため航空戦艦へと改造された「伊勢」型の「伊勢」である。

近代化改装以前の「伊勢」。広島沖で1927年の撮影。
日本初の純国産超ド級戦艦「扶桑」型は、当初4隻が建造される計画だった。同型は、日本海軍の初期の造船技術者のひとりでイギリス留学経験も長い当時の第一人者・近藤基樹(こんどうもとき)博士の設計だったが、実際に建造してみると、随所に欠陥が生じた。
特に防御力や砲力の面での不具合は、戦艦としては看過できない問題であった。そこで3番艦と4番艦にかんしては、設計を改めて準同型艦とするプランが承認された。
こうして「扶桑」型を改設計した「伊勢」型の1番艦である伊勢は、1915年5月10日に神戸川崎造船所で起工。1916年11月12日に進水した。竣工は1917年12月15日であった。
「扶桑」型と同じく、36cm連装主砲塔を艦首2基、艦中央部に2基、艦尾に2基の計6基を備えて完成。火力面では「扶桑」型と同等であり、装甲防御力は「扶桑」型よりも向上している。
就役後、何度もの改修が施され、その都度近代化が図られてきたので、太平洋戦争の開戦時にはすでに艦齢25年を超えた老朽艦ながら、戦艦としての能力は一線級であった。しかし速力が遅く、これが空母機動部隊中心の太平洋戦争前半における、「伊勢」の活躍の場を狭めていた。
ところがミッドウェー海戦により、日本海軍は正規空母4隻を一挙に喪失するという大損害を蒙った。これに慌てた海軍は、新造空母の建造を急ぐとともに、戦艦としてはすでに旧式の「扶桑」型と「伊勢」型を航空戦艦へと改造するプランを案出した。
これは、艦尾の主砲塔2基を撤去してその部分に艦載機格納庫と飛行甲板を設け、22機もの艦載機の搭載・運用を可能とするもので、不足する空母の穴埋めとして期待された。
そこで、「扶桑」型よりも先に「伊勢」型の改装が行われた。そして「伊勢」の改装工事は、呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)で1942年12月から翌43年9月にかけて施された。
だが、せっかく航空戦艦に生まれ変わったにもかかわらず、「伊勢」の広い艦載機格納庫と飛行甲板は物資運搬に用いられることが多く、22機の艦載機をフルに搭載して航空戦艦としての活躍を見せる機会はついぞなかった。
そして戦争末期になると、燃料不足で行動困難となり、呉軍港での対空戦闘に従事したが、1945年7月24日の空襲で艦橋に直撃弾を受け、艦長牟田口格郎大佐以下、艦の幹部の多くが戦死。大破着底して終戦を迎えた。