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源為朝の妻・白縫姫は巴御前に引けを取らない烈女だった?

鬼滅の戦史101


史上最強の戦士として名を馳せた源為朝(みなもとのためとも)。その妻として『椿説弓張月』に記されたのが、白縫姫(しらぬいひめ)であった。夫を陥(おとしい)れた男の首を自ら刎(は)ねたばかりか、亡霊となってからも、夫に加勢して尽くしたという。その烈女が、遠く離れた山梨県にまで逃げ延びて暮らしたとか。いったい、どういうことなのだろうか?


 

『椿説弓張月』に登場する源為朝の妻

源為朝と白縫 歌川国芳筆/都立中央図書館蔵

 白縫姫という名の女性をご存知だろうか? かの源(木曾)義仲(よしなか)の妾(めかけ)・巴御前(ともえごぜん)も女武者として名を馳せたが、白縫姫もそれに引けを取らぬ、烈婦というべき女性であった。

 

 夫は、強弓の使い手としてその名を知られた源為朝。かの頼朝(よりとも)の父・義朝(よしとも)の弟である。つまり頼朝から見れば叔父にあたる人物で、平家打倒の決起を促した以仁王(もちひとおう)の令旨を伝え歩いた行家の兄でもある。八人張りの強弓を放って、いとも簡単に大船をも沈めたという、史上最強ともいうべき御仁であった。

 

 その為朝が、父・為義に追放されて(九州を統治するために送り込まれたとも)鎮西(ちんぜい)こと九州へ向かった時に見初めた女性、それが白縫姫であった。為朝にとっての初恋の人ともいうべき見目麗(みるめうるわ)しい女人である。

 

 ただし、その名が記されたのは、滝沢馬琴(たきざわばきん)が著した長編物語『椿説弓張月』などで、実在の人物であったかどうかは定かではない。それでも、各地に伝わる伝説伝承にも白縫姫の名が伝えられているところから鑑みれば、伝説の内容の真偽はともあれ、人物そのものは実在したと考えるべきかもしれない。

 

 父は、肥後国阿蘇郡の領主・阿曾三郎平忠国(あそのさぶらうたいらのただくに)で、その一人娘として登場する。このあたり、保元の乱の動向を記した『保元物語』とは、少々記述が異なる。そこでは、為朝の義父の名は、阿多平四郎忠景である。忠景とは忠国の父で、阿多郡、つまり現在の鹿児島県南さつま市あたりを領有していた平氏方の人物であった。

 

 ともあれ、為朝が尾張権守季遠(おわりごんのかみすえとお)の館があったとされる豊後国(大分県)から肥後国阿蘇へと向かった、その後に出会ったのが白縫姫で、見目麗しさに一目惚れした為朝が、「イタズラが過ぎる猿を退治」したことをきっかけとして結ばれた女性であった。

 

 その後、義父となった忠国の領地である肥後国を拠点とするや、わずか1年で九州全土を掌握することができたという。政略結婚の意図があったかどうか定かではないが、源家の御曹司としての為朝にとっても、極めて有益な結婚であったというべきだろう。

『為朝誉十傑』歌川国芳筆/都立中央図書館蔵

夫の捕縛に手を貸した武藤太の首をバッサリ!

 

 ところが、為朝が九州を席巻したとの情報が都にもたらされるや、朝廷がこれを危惧。父・為義にその罪を被せて解官してしまった。責任を感じた為朝が都に向かったところで、後白河天皇と崇徳(すとく)上皇が対立した保元の乱が勃発。為朝は嫌が上にも、騒動に巻き込まれてしまうのであった。

 

 その後は上皇側についたことで戦いに破れて敗走。ついには捕縛され、伊豆大島へと流されてしまったのだ。

 

 為朝が九州から立ち去った後、あとを追うかのように伊豆大島に向かう白縫姫。その途上、夫の捕縛に手を貸した武藤太と出会ったことで、彼女の烈婦としての一面が現れることに。武藤太に酒を飲ませてもてなす風を装いながら、自ら太刀を抜き放って斬りつけ、その首を刎ねてしまったのだ。

 

 本来なら、白縫姫が伊豆大島で自害した為朝と遭遇することなどあり得ないが、同書では、その後二人が再会したことになっている。

 

 為朝が伊豆大島を抜け出して、九州へ逃げ延びて白縫姫と再会。暫し蜜月の日々を過ごしたとする。その間に、舜天丸(しゅんてんまる)という子までもうけたとも。その後の展開も、かなり神がかっている。平家の横暴を見かねた為朝夫妻が、大船を仕立てて偵察に赴こうと出航したものの、嵐に揉まれてしまう。為朝は琉球(沖縄)にまで流され、白縫姫は海の神様への生贄にならんと、自ら入水してしまったというのだ。

 

 驚くべきは、その後の展開である。死んだはずの白縫姫が、何と亡霊となって琉球の王女の身体に乗り移り、悪党どもをバッタバッタと斬り倒していったとか。琉球王国を牛耳る妖術使い・朦雲(もううん)をも打ち倒して琉球の安寧を見届けたところで、姿を消してしまうのであった。

大月市にそびえる滝子山。そこで白縫姫は生き延び、祀られたという白縫神社。
/撮影:藤井勝彦

山梨県大月市に逃げ延びたとの伝承も

 

 以上が、『椿説弓張月』に記された白縫姫の動向であるが、実はこれとは大きく内容の異なる伝承が、九州から遥か1000㎞も離れた山梨県大月市に伝えられている。

 

 為朝が九州を離れた後、身の危険を感じた白縫姫が、乳飲み子であった為若丸を連れて九州を脱出。追っ手の目をかすめながら諸国をさまよい歩くうちに、大月市にそびえる滝子山にたどり着いたというのだ。

 

 標高1620mとはいえ、かなり険しい山である。その山頂近くに小屋を作って池を掘り、夫を偲んで暮らし始めたとか。夫への思いが募って、山を鎮西山、池を鎮西ヶ池と名付けたとも。

 

 さらには、追っ手が迫ってきて危機感を覚えたことから、子の名を彦太郎と変えて里人に預けた上で、自身は故郷の肥後へと戻っていったというのだ。今も山頂近くの白縫姫が住んでいたとされるところに、白縫神社と名付けられた小さな祠が設けられ、脇に鎮西ヶ池なる小さな水溜りが残されているのがその証だという。

 

 そこにどれほどの真実が盛り込まれているのかはわからないが、まんざらあり得ない話ではなさそうだ。少なくとも、為朝あるいは白縫姫ゆかりの人物が、この地と何らかの繋がりがあったと見なすべきだろう。ともあれ、何とも謎めくこれらのお話。その解明を期待したいところだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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