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輝かしい通商破壊戦における戦果!インド洋の暴れん坊「伊号第27潜水艦」

海底からの刺客・帝国海軍潜水艦かく戦えり


戦後「日本軍は兵器本来の用途を逸脱し、ために戦果を挙げることができなかった」というのが常識とされた。その最たるものが潜水艦だ。狭い艦内に物資を満載し、輸送業務に携わってばかりいたように伝えられる。しかしインド洋を自在に駆け巡り、通商破壊戦で輝かしい戦果を挙げた艦も存在したのだ。


 

巡潜乙型である伊号第15潜水艦(写真)の8番艦として1942年2月24日に就役したのが伊号第27潜水艦であった。魚雷発射管は艦首に6門装備され、九五式魚雷(酸素魚雷)を17本搭載。航続距離は水上16ノットで1万4000浬、水中3ノットで96浬であった。

 昭和17年(1943)2月19日、マレー半島の西方、マラッカ海峡に浮かぶペナン島に置かれた日本海軍の基地に、伊号第27潜水艦(以下・伊27)が入港した。そして2月23日になると、伊27に新しい艦長が赴任。その立ち居振る舞いはあくまで物静かで、柔和な表情からは軍人とは思えない風格がにじみ出ている。闘志などとは無縁の、どこか徳の高い僧侶を思わせるような佇まいであった。それが伊27の乗組員一同が感じた、新艦長・福村利明(ふくむらとしあき)少佐の第一印象であった。

 

 伊27は昭和17年(1942)8月以来、半年に渡りインド洋の通商破壊作戦に従事。しかしながら戦果は撃沈1隻という、不満足なものであった。福村は航海術を専攻し、開戦当時は第6艦隊の航海参謀を勤めていた。それだけに、乗組員の間に不安視する雰囲気が漂っていた。それは福村も認識していたようだが、出港が近づいてもまるで自分に課された期待や不安など、意に介していない様子であった。

 

 2月26日、伊27はペナンを出港。ベンガル湾とチャゴス諸島の間の海域を哨戒。3月80815分、セイロン島コロンボの南西沖で1万トン級の輸送船を発見。3本の魚雷を発射したが、残念ながら命中しなかった。それでも福村艦長の顔に、焦りは浮かばない。

 

 3月202102分、セイロン島の北西500浬付近で、イギリス貨物船フォート・マムフォード(7132トン)を発見。今度は魚雷1本を発射し見事撃沈。それでも福村艦長の表情は変わることはなかった。さらに3月24日にはチャゴス諸島北西沖でタンカーを発見し魚雷1本を発射するも、命中はしなかった。結局、4月9日にペナンに帰着するまでの間、撃沈は1隻という不満足な結果に終わってしまったのだ。

 

 福村艦長2回目の出撃は、5月1日であった。この日、伊27はペナンを出港、作戦海域はインド洋からアラビア海の北部、ペルシャ湾入口近くまで及ぶ広大なものである。期間は今度も2カ月半ほどだ。

 

 すると早くも7日0556分、コロンボからダーバンに向かうオランダの貨客船ベラキットを発見。魚雷を命中させた後、冷静な福村艦長は浮上を命じ大砲でとどめを刺した。この時、船員1名を捕虜としている。

 

 そして10日と26日には輸送船を攻撃したが、戦果は確認できなかった。6月3日0735分、マシーラ島南方150浬で、アメリカの貨物船モンタナンを雷撃し、これを撃沈。さらに24日は灯油と経由を積んでいたイギリスのタンカー、ブリティッシュ・ベンチャーを撃沈。

 

 特筆すべきは280805分、オマーンの港湾都市マスカットに入港し、荷揚げ中だったノルウェー貨物船ダー・フーを雷撃、撃沈したことだ。敵に発見されやすい港での攻撃など、闘志に溢れた指揮官でも躊躇してしまうものだ。だが福村艦長は、普段と変わらぬ穏やかな様子で攻撃を命じている。7月5日にはアメリカの輸送船団を発見、雷撃で1隻を大破させた。7月14日にペナンに帰投。戦果は撃沈4隻1万8176トン、撃破1隻6797トンであった。

 

 3回目は8月29日にペナンを出撃し。9月24日に帰投。この時は撃沈、撃破ともに1隻にとどまっている。伊27が最も輝かしい戦果を挙げたのは、1019日にペナンを出撃、1227日に帰投した4回目の出撃時である。

 

 ペナン出港後、アデン湾およびアラビア海に向かった伊27はイエメンの港を偵察後、1110日にイギリスの貨物船サムボを発見、雷撃でこれを撃沈。18日にはマドラスからアデンに向かっていた、イギリス貨物船サムリッジを発見。これを雷撃により沈めている。

 

 27日に紅海への南入口に浮かぶペリム島を潜望鏡で偵察。291630分には、ギリシャ貨物船アティナ・リヴァノスを発見し、これを撃沈した。そして12月2日2145分、アデンの南方沖でギリシャ貨物船ニッツァを発見し、雷撃により沈めている。その翌日の2003分には、ソマリア沖でイギリス貨物船フォート・カモスンを攻撃。撃沈には至らなかったが、任務から離脱させている。

 

 結果、4隻2万3994トンを撃沈、1隻7126トンを撃破し、一躍「インド洋の暴れん坊」という地位に躍り上がる。この出撃中であった194311月、福村艦長は中佐に昇進。それでも本人は、淡々と任務をこなしていた。

 

 伊27はその後、昭和19年(1944)5月15日にインド洋で複数のイギリス駆逐艦と交戦し、壮絶な最期を遂げている。福村が艦長となり1年あまりであったが、その間に11隻6万1966トンを撃沈、3隻2万1099トンを撃破。その殊勲が認められ、福村は二階級特進を果たしている。通商破壊任務だけで二階級特進したのは、じつに福村少将だけであった。

福村利明は1905年10月2日に熊本県で生まれた。1926年に海軍兵学校54期卒業。当初は第一遣外艦隊司令部付となり、水上艦艇に勤務。その後、潜水艦の乗組員となった。太平洋戦争開戦時は第6艦隊(潜水艦のみで構成された艦隊)参謀であった。最終階級は海軍少将。

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過去記事

野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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