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原爆を運んだ重巡インディアナポリスを撃沈した「伊号第58潜水艦」の顛末を再現【後編】

海底からの刺客・帝国海軍潜水艦かく戦えり


格好の敵と遭遇した伊号第58潜水艦。回天(かいてん/日本軍初の特攻兵器であり、人間魚雷である)の搭乗員からは出撃の要請が何度も具申されたが、橋本以行(はしもともちつら)艦長は通常魚雷での攻撃を決断する。攻撃の機会は何度も訪れない。その重圧は現代人では想像もできないだろう。


 

伊号潜水艦の甲板に搭載された特攻兵器の回天。人間が操縦して敵の艦船に体当たりする兵器で、人の力で針路が変えられるので、命中確率が高くなる、というのが導入の理由だ。しかし出撃後は回収不能なので、どんな状況でも人命は損なわれてしまう。

 月を背にした敵の艦影は、次第にはっきりしてきた。前方には砲塔が2基重なっているようだ。今では相当に大きな檣楼を有する大型艦であることがわかる。同時に、敵艦との距離、敵の速力、進行方向などをかなり正確に割り出すことができた。

 

 伊号第58潜水艦(以下・伊58)の艦長、橋本以行少佐は冷静に、だが迅速に魚雷の発射角や速度を割り出していた。そこにすべての神経を集中していたため、「回天戦用意」を伝達したまま、発進準備を下令せずにいた。そのため回天からは、何回も催促が来る。が、橋本はそれでも放置した。現状の月明かりでは、回天はすぐに目標を見失ってしまうと思われたからだ。

 

「魚雷で仕留められる!」

 

 こう確信した時は、回天は使用しないと、橋本は決めていたのだ。この間、伊58の艦内は物音ひとつ聞こえない状態であった。潜望鏡で敵艦を凝視する艦長の眼と、相手の動きに、文字通り“耳をすませていた”聴音員の耳以外は、まさに蓋をされていたのだ。

 

 2326分、すべてのデータが魚雷に送られた後、ついに沈黙が破られたのである。

 

「発射始め!」

 

 橋本艦長のこの号令で、あとはボタンが押されれば魚雷が走り出す。6本の魚雷に設定された発射の好機が、刻々と近づいてきた。それでもひと呼吸置き、さらに「方位角を右60度、距離1500mに変更」を命じた。そして敵艦との距離を詰める。

 

 息が止まりそうになる時間が過ぎ、敵艦の艦橋部分を潜望鏡の中心に合わせた瞬間、橋本は艦内全部に響き渡るような声で「用意、撃てっ!」と命じた。魚雷発射のボタンは2秒間隔で押された。発射管室からは「各連管発射異常なし」が報告される。

 

 伊58から放たれた6本の魚雷は、扇形を描きながら敵艦に向かって行く。橋本はなおも潜望鏡を覗きながら、周囲に他の艦艇がいないか用心深く見回した。同時に伊58の艦首を敵と平行になるように回頭する。この間、時間にして1分足らずであった。だがこの1分が、永遠のように感じられた。

 

 すると敵艦の艦首1番砲塔の右側に水柱が上がった。続いて1番砲塔の真横にも水柱が上がる。そして真っ赤な火が上がるのも見えた。さらに2番砲塔の真横から前艦橋のあたりに、三番目の水柱が上がった。

 

「命中! 命中!」

 

 1本当たるごと、思わず叫んでいた。これはすぐに艦内に伝えられたため、乗員すべてが躍り上がる。しばらくすると、魚雷の爆発音が3つ、艦内に響いた。命中は確信できたが、潜望鏡で見ると敵はまだ浮かんでいる。

 

「敵が沈んでいないなら出撃させて下さい」

 

 回天の搭乗員からは、こうした要望が再三届けられた。だが発進した後、敵は沈んでしまうかもしれない。回天は1度出撃したら、回収することはできないのだ。

 

 その時、敵から水中探信の音が発せられたような音がしたので、深く潜って魚雷第2波の準備をすることにした。そして2本の魚雷が発射できる準備が整ったので、潜望鏡深度まで浮上すると、海上から敵の姿が消えていた。そこで浮上してみたが、海はただ不気味に静まり返っているだけであった。

 

1945年7月26日、テニアン島に原爆の部品を運んだ後、フィリピン海で伊58による雷撃で沈没した重巡インディアナポリス。第2次世界大戦中、敵の攻撃によって沈められた、最後のアメリカ海軍の水上艦艇となった。

 撃沈された重巡洋艦インディアナポリスは、原爆の部品をテニアン島に届け終わり、レイテ島に向かっていたところであった。この任務は極秘扱いだったため、アメリカの艦船位置表示システムから外されていて、付近の艦船もインディアナポリスの存在を知らなかったのだ。そのため救助が大幅に遅れ、1196名の乗員のうち、最終的に救助された生存者は316名であった。

 

 インディアナポリスの艦長、チャールズ・B・マクベイ大佐は軍法会議にかけられ、有罪となった。これは海軍上層部がインディアナポリスの位置情報を把握していなかったことを、艦長ひとりの責任にしてしまったのである。具体的な罪状は魚雷回避運動を怠っていた、というものだ。この点については、戦後に橋本中佐(1945年9月5日に進級)も審問に出席し、予備審問でマクベイ大佐に落ち度がないことを証言したが、審問では証言させてもらえなかった。

 

 1968年にマクベイは沈没の責任を問われ続けたことに耐え切れず、自殺してしまう。橋本は自分の証言が取り上げられなかったことで、かなりショックを受けたようだ。マクベイの名誉は20001030日になって、ようやく回復された。だが橋本は、残念ながらその決定の5日前に亡くなっていた。

 

8月15日、伊58は沖縄方面から豊後水道に向けて航行していた。その時、終戦の詔勅を伝える新聞電報を受信。17日に平生で残った回天とその搭乗員を降ろし、ここで終戦の詔勅を乗組員に伝えた。18日に呉に帰投する。

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野田 伊豆守のだ いずのかみ

 

1960年生まれ、東京都出身。日本大学藝術学部卒業後、出版社勤務を経てフリーライター・フリー編集者に。歴史、旅行、鉄道、アウトドアなどの分野を中心に雑誌、書籍で活躍。主な著書に、『語り継ぎたい戦争の真実 太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)、『旧街道を歩く』(交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)など多数。

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