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怨霊・妖怪退治に活躍を見せた安倍晴明とは何者だったのか?

鬼滅の戦史㊲


式神(しきがみ)なる精霊あるいは妖怪を自在に操り、呪術を駆使して人の生死にさえ関わることができたという陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)。一条天皇の病を呪術によって回復させたり、雨乞いの儀式を執り行って雨を降らせたことなどは、当時、史実とみなされていた。安倍晴明の謎に包まれた半生と、その出自を探ってみたい。


白狐の子とされた母と童子丸の儚き物語

妖怪たちと対話する安倍晴明。『不動利益縁起』 国立国会図書館蔵

「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」

 

 私のことを恋しく思うなら、信太の森へ訪ねてきてくだされ…とでも言おうとしたのだろうか? 葛の葉なる女に化けた白狐が、こんな一首を障子に認め、夫や息子から逃げるかのように立ち去ったという。

 

 冒頭からいきなり白狐が登場して、面食らった方がいらっしゃるかもしれないが、実はこの白狐、陰陽師として名を馳せた、かの安倍晴明の生誕に関わるお話の主人公。今しばらく、お付き合い願いたい。

 

 時は村上天皇の御世というから、10世紀も中頃のことである。摂津の阿倍野(あべの)に、安倍保名(あべのやすな)という男が住んでいた。男が和泉の信太明神に参拝、禊をしようと池のほとりを歩いていた時のこと。そこに突如、白狐が駆け込んでくるのが目に入った。狩人に追われ、逃げ惑っていたのだ。男は不憫に思って、これを助けて、逃がしてあげた。ところが、怒り心頭の狩人たちに痛めつけられて男は重傷を負ってしまう。そこに現れたのが、葛の葉という名の見目麗しい女性であった。男を介抱して家まで送り届けてくれたばかりか、傷が癒えるまで、甲斐甲斐しく手当までしてくれたのである。いつしか男の心が、女になびくようになったことはいうまでもない。2人は夫婦となり、童子丸という名の子にも恵まれ、幸せに暮らしたのだとか。

 

 すでにお分かりだろうが、葛の葉なる女とは、助けられた白狐の化身である。助けられたお礼にと、男に仕えたのであった。男の優しさが、女にとっても心安らぐものであったのだろう。

 

 しかし、幸せな日々は、長くは続かなかった。数年の後のとある日、葛の葉が庭に咲く花に見とれていた時のこと。長閑(のどか)な日々が続いて、気が緩んだのかもしれない。自分が人間に化けていることを忘れて尻尾を出してしまった。それを運悪く、我が子・童子丸に見られてしまった。狐であることを知られては、もはや共に暮らすことはできじ(狐の世界の掟とか)…と、泣く泣く立ち去ったのである。その間際、障子に口でくわえた筆で書き記したのが、冒頭の一首であった。

 

 信太の森に住む白狐であることを明かし、森に帰らざるを得ない自らの悲運を恨むと共に、夫と子の来訪を密かに願う心意気を込めたものであった。

 

障子に口でくわえた筆で、冒頭の一首を書いた晴明の母。『江都錦今様国尽』和泉国/国立国会図書館蔵

 

 これが、『葛の葉物語』あるいは『信太妻』と呼ばれる歌舞伎や浄瑠璃で演じられた白狐の物語。伝承によって細部は異なるところも多いが、儚くも悲しいその顛末に、涙をそそられるところは変わりない。同時に、白狐の子とされた童子丸のことも気になるところであるが、この少年こそが安倍晴明だというから、驚かされてしまうのだ。

 

渡辺綱が切り落とした宇治の橋姫の腕を封印した?

 

 もちろん、それが作り話であることはいうまでもないが、後世に語り継がれた晴明の奇怪な伝承を踏まえれば、さもありなんと思えてしまう。伝承によれば、式神なる精霊あるいは妖怪を自在に操ったばかりか、呪術を駆使して人の生死にさえ関わることができたという。冒頭にも記したが、一条天皇の病を呪術によって回復させたり、雨乞いの儀式を執り行って雨を降らせたことは、すべて史実とみなされていたようである。それゆえか、一条天皇ばかりか、藤原道長にまで信頼されていたことが多くの書に認められている。

 

 また、『今昔物語集』第二十四巻にも、当時、陰陽師の大家としてその名を知られた賀茂忠行(かものただゆき)が晴明の才知を見抜いて、陰陽道の奥義を授けたと記されている。もちろん、鬼や妖怪の霊力を封じることなど容易く、渡辺綱(わたなべのつな)が切り落とした宇治の橋姫の腕を封印したのも晴明であった。陰陽師のヒーローとして晴明以上の活躍ぶりをみせた者は、誰もいなかったのだ。

 

陰陽師・晴明の本当の実力と前半生は?

 

 ところが、史実としての晴明像を追いかけてみると、意外な姿が垣間見えてくる。伝説では幼少の頃から際立った才能を見せ、青年時代から陰陽師としての才能を存分に発揮したかのように伝えられているが、実のところ、天文得業生という現在でいうところの大学院生になったのが、応和元(961)年の41歳の時。陰陽師になったのは、その6年後。天文博士に任じられて存分に能力を発するようになるのは天禄3(972)年。何と52歳になってからという。つまり、驚くほど遅咲きだったのだ。

 

 前述の一条天皇の病を癒したのは正歴4993)年、すでに70歳を優に過ぎてから。雨乞いの儀式を執り行ったのが長保6(1004)年だから、何と83歳の時のこと。最終的には従四位下という高位に上るが、85歳という当時としては考えられないほど長生きしたからこそ、活躍できたのだ。

 

 ただし、陰陽師としての能力が果たしてどれほどのものであったのかは定かではないが、高位高官に上ったところからすれば、それなりの活躍ぶりであったことは間違いなさそうだ。

 

 その名声とは裏腹に、晴明の系譜及び生誕の地は、定かではない。その謎めいた経歴ゆえに、冒頭のような不思議な誕生物語が生まれたのだろう。『葛の葉物語』の舞台とされる阿倍野(安倍晴明神社や信太の森鏡池史跡公園がある)の他、地名の類似から、奈良県桜井市安倍とみなされることもある。また、墓所としては、京都市嵯峨の渡月橋近くの晴明墓所がよく知られるところである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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