×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

海軍大学校教官時代の秋山真之は、アメリカ海軍の戦略思想家アルフレッド・セイヤー・マハンをどう評価していたのか?

軍事史でみる欧米の歴史と思想


■自力で海軍戦術を研究した若き日の秋山真之

 

 米西戦争直前の1897年に渡米した折、若き秋山大尉は、古今東西の陸戦や海戦の歴史を調査・研究すべきことをAT・マハンから勧められた。このアドバイスに従って秋山は、自力で戦史を研究し始め、その成果もふまえて日露戦争直前の1903年ごろから日本の海軍大学校で講義し始めた。彼の講義内容には、海軍基本戦術や海軍応用戦術、海軍戦務、海軍軍務などがあり、今日でも参照することができる(戸髙一成編『秋山真之 戦術論集』)。

 

 アメリカの海軍大学校での聴講よりも戦史の自学自習を勧めてくれた「恩師」とはいえ、秋山は、高名なマハンの学説を決して鵜吞みにしたわけではなかった。たとえば秋山は、マハンの「制海権」の概念が曖昧だと指摘していた。またたとえこの概念を厳密に定義できたところで、広大な太平洋で完全な「制海権」の確保は極めて難しい、と考えていたのである(麻田貞雄『両大戦間の日米関係』参照)。

 

 ただし秋山は、マハンの学説のなかでも適切と考えられるものは、自分の講義を補うものとして明記していた。マハンによれば、戦術の変更が兵器の変更の後に起こるだけでなく、それらの時間的間隔が、あまりにも長すぎるということであった。なぜなら、兵器の変更は少数の個人の力によって達成できるが、戦術を変更するためには守旧派で多数派の将校の惰性や反対を打破しなければならず、時間がかかるからである。このタイムラグは嘆くべき大きな弊害である。そこで、この弊害を取り除くには次のことが必要であろう。過去に生じた従来の戦術の変更を、客観的かつ公平に観察しておく。そして、現時点における新兵器の威力の程度を考え、質に応じて、新兵器を利用する戦法を研究すべきである。こうすれば、新しい戦術をうまく構築することができよう。こうしたマハンの意見を秋山は、「海軍基本戦術 第一篇」の緒言に、明治擬古文であげていたのである。

 

 秋山が日本の海軍大学校で戦術に関することばかり講義し、マハンがアメリカの海軍大学校で戦史・戦略を教えていたことも、一見対照的である。しかし、秋山の講義「海軍応用戦術」は、戦術の応用法と称する方が至当かも知れないと本人が緒言で述べているように、戦略と戦闘の関係を第一節で検討していた。つまり彼は、戦略を無視しきっていたわけではない。そのうえで彼は、戦略という目的を達成するための手段を、戦闘、封鎖、牽制、佯撃、陽動、威嚇、誘致などと列挙していく。ゆえに戦闘は、戦略を達する手段の一つにすぎないこと、「戦わずして敵を屈する」方が理想的であることが、1894-95年の日清戦争の事例を引きつつ強調された。とはいえ、作戦を迅速に終えるには戦闘を行う方が現実的であるとも指摘され、戦術の最重要性が確認されて第一節は終わっている(戸髙編『秋山真之』)。

 

 このような秋山の考えをまとめると、彼はマハン説を一部批判したり高評価したりしているので、マハンに対してはまずまず公平な評者であったと推察できよう。だが、戦略より戦術を実際には重視しがちな秋山の姿勢は、あまりアメリカ的ではなく、むしろドイツ風であったのではなかろうか。この点、さらなる検証が必要かもしれない。

秋山真之/国立国会図書館「近代日本人の肖像」より

KEYWORDS:

過去記事

布施将夫ふせまさお

京都外国語大学・京都外国語短期大学教授、学生支援部長。京都大学博士(人間・環境学)、関西アメリカ史研究会代表幹事。専門は19世紀後半における欧米の軍事史。主な著書に『補給戦と合衆国』(松籟社,2014)、『近代世界における広義の軍事史―米欧日の教育・交流・政治―』(晃洋書房,2020)、『欧米の歴史・文化・思想』(晃洋書房,2021)など。

最新号案内

『歴史人』2026年2月号

豊臣兄弟の真実

秀吉・秀長兄弟による天下統一は、どのようにして成し遂げられたのか? 大河ドラマ「豊臣兄弟!」などの時代考証者らによる座談会や、秀長の生涯を追いながら、その全貌をひも解く。