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朝ドラ『ばけばけ』に登場する「ラシャメン」とは? 「金のために外国人に体を売る」と差別された女性たち

炎上とスキャンダルの歴史


■大正の世を賑わせたスキャンダル

 

 朝ドラ『ばけばけ』に、「ラシャメン(洋妾)」というワードが登場し、話題を呼んでいるようですね。第21話では、遊郭で働く「なみ」が、(明治末の日本で活躍したイギリス人作家のラフカディオ・ハーンをモデルにした)レフカダ・ヘブンの「ラシャメン」となるべく、アプローチを開始していました。ヒロインの松野トキもシジミ売りしてるどころじゃないのでは……という気がします。

 

 「ラシャメン」は一般的に馴染みが深い歴史用語ではありませんし、歴史の教科書にも絶対に登場しません。今回はその実像についてお話してみたいと思います。

 

 「ラシャメン」と聞いて、筆者が思い出すのは日本が開国した直後の幕末・横浜です。

しかし『ばけばけ』のヘブンさんこと、そのモデルのラフカディオ・ハーンが来日し、島根県の公立中学の英語教師になったのは明治29年(1890年)ですから、ちょっと時代と地域がズレてはいるのですね。

 

 また「ラシャメン」とはハッキリいうと差別用語でした。幕末志士たちにとっては高額報酬ねらいで外国人の男に身を売る、日本の恥だと見られていたんですね。これは『ばけばけ』の舞台である明治中期になっても多かれ少なかれ、日本中で存在した価値観だと思われるのでドラマの演出としてはアリなのですが……。

 

 当時、日本人女性と外国人男性――とくに白人男性との国際恋愛はかなり色眼鏡で見られる行為でした。とりわけ恋愛どころか売春になってくると、最悪視されていたといって過言ではありません。

これについては「ラシャメン」の熱心なアンチだったと自称している渋沢栄一の言葉を引用したいと思います。

 

「わたくしの壮年時代、世に『らしゃめん』即ち洋妾と唱へ、外人の妾となるものが多かった。而して、心あるもの、一人として日本の国辱となし『らしゃめん』の厚顔無恥を怒罵せぬものはなかった」そうです。『幕末開港綿羊娘情史』という昭和初期に出された本の序文を書いたのが、元・尊攘派志士で、当時80代後半の渋沢です。その年になってもなお「ラシャメン」を国辱として記憶しているのだからものすごいですよね。

 

 品川遊郭の経営者たちの一部が、横浜に移転し、「港崎遊郭(みよざきゆうかく)」を開業したのが安政6年(1859年)のこと。ちなみに現在、ヨコハマスタジアムがある場所です。

 

 当地における外国人向けの遊女の通称は「綿羊娘(らしゃめん)」で、彼女たちに毎月与えられる給料は最低でも10両(=約100万円)と高額でした。

 

 なぜ「綿羊娘」と書くのかには諸説あるのですが、日本人に比べて体毛が濃い外国人は、当時の日本人の目にはまるで羊みたいに見えて、そういうケダモノに金目当てで抱かれる娘だから「綿羊娘」とされた説を筆者は採ります。

 

 さて、開国当初の日本における「綿羊娘」たちの聖地は岩亀楼(がんきろう)で、当時は日本人向けの遊女と、外国人向けの遊女は厳別されており、兼業は不可。外国人向けの遊女は高給取りであるかわりに、外国人の性の相手をしたという経歴が一生涯つきまとう覚悟をせねばなりませんでした。単純に高収入、羨ましいというような話ではありえなかったのです。

『幕末開港綿羊娘情史 5版』より/国立国会図書館蔵

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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