傑作機MiG-15の性能向上発展型【MiG-17フレスコ】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第32回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

アメリカ空軍第4477試験・評価飛行中隊“レッドイーグルス”でフライトテストに供されるMiG-17。東西冷戦中、アメリカはソ連製航空機の性能を探るため、飛行可能な鹵獲機体を積極的に収集していた。
第2次世界大戦末期、ソ連は間違いなく将来の航空エンジンの主力となるジェット・エンジンと、それを動力として搭載し、すでにドイツやイギリスで実用機が実戦に参加しているジェット戦闘機の開発をおこなっていた。だがソ連のジェット関連技術は、やや遅れていた。
しかし第二次世界大戦が終結し、ソ連はジェット先進国ながら敗戦国となったドイツの技術を導入。その結果、各種の国産ジェット戦闘機の開発に成功する。特にMiG-15ファゴットは、朝鮮戦争でアメリカ製のノースアメリカンF-86セイバー戦闘機を相手に奮戦した。
とはいえ、ソ連にとって初期のジェット戦闘機としては成功作と評されるMiG-15にも、やはり欠点や弱点があった。特にMiG-15が持つ最大の悪癖、マニューバー中に突如として回復が難しいスピンに入る問題は、最優先の解決課題とされた。
より強力なジェット・エンジンを搭載して胴体を延長し、主翼の後退角も大きくした機体が、MiG-17として制式化され、同機にはフレスコのNATOコードネームが付与された。なお、英語で戦闘機はFighterと称されるが、その頭文字が「F」であることから、戦闘機に与えられるNATOコードネームは、原則として「F」で始まる単語が使われている。
原型となったMiG-15は、欠点もあるがソ連を中心とする社会主義陣営各国で運用されるベストセラー機となっていたが、同機の発展改良型であり、第1世代ジェット戦闘機の最後期の機体のひとつに数えられるMiG-17は、当然ながら性能面でより改善されていた。
しかも、MiG-15の運用実績があれば、MiG-17は操縦の面でも整備の面でも類似性が高いため、導入が容易という長所があった。
また、価格面でも比較的廉価なジェット戦闘機だったため、ソ連との関係が深い社会主義陣営諸国や第三世界の国々で広く採用され、多くの局地戦争や紛争で、西側製の各種ジェット戦闘機と戦火を交えている。特にベトナム戦争では、高性能を喧伝するアメリカ製の各種ジェット戦闘機を向こうに回して善戦。高い評価を得た。
なお、1950年に試作機が初飛行して以来、世界には二線機ながらまだMiG-17を運用している国もあるようだ。