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日本人は「鬼の末裔」だった!? 『日本書紀』における「鬼」の正体とは【古代史ミステリー】

日本史あやしい話


『日本書紀』に、「鬼」の文字が何度も登場しているのをご存じだろうか? しかもその表記は、単に「鬼」というだけでなく、「邪鬼」「鬼神」「姦鬼」「鬼魅」「魅鬼」「鬼火」などなど、実に多彩。その多くが、これ以上言いようのないほど忌み嫌った言い回しであった。それらはいったい、何を意味するものだったのだろうか? そしてそこには、日本人のルーツが関わっている可能性がある。どういうことか、見ていこう。


 

鬼にツノが生えたのは、中世から

「寅八月六日 法名浄莚信士」「八代目市川団十郎 行年三十二才」 (部分)/東京都立図書館

 鬼といえば、ツノが生えたこわ〜い顔立ちで、おまけに金棒まで振り回す! な〜んて思っている方も多いのでは? でも、実はそれって中世以降のお話。ツノは12世紀以降に成立した『今昔物語集』において初めて登場。

 

 金棒に至っては、応仁の乱(1467〜1477年)の頃に成立した『鴉鷺合戦物語(あろかっせんものがたり)』なる軍記物が初出というから、そのイメージは、中世以降に作り出されたものだったと見なすべきだろう。

 

 では、本来の鬼とは、どのようなものだったのだろうか? はるか時代を遡れば、鬼とは「霊」を示す言葉だったとか。

 

 人はもちろん、動物や自然など、ありとあらゆるものに霊が宿っていると仮定すれば、そのうちの「ありがたい恵みを与えてくれる敬うべき存在」が神で、「祟りを成す畏怖すべき存在」を鬼と呼ぶとも考えられそう。

 

 ならば、天狗や河童はいうまでもなく、幽霊や怨霊、妖怪もまた、鬼の範疇に入るべきだと考えられそうだ。

 

■『日本書紀』に記された「鬼」が意味するものとは?

 

 ともあれ、実はこの「鬼」なる文字は、『日本書紀』にも数多く記されている。筆者の知る限りでは、8箇所も登場しているのだ。そこでは、どのような者を「鬼」とみなしていたのか、それが今回のテーマである。

 

 まず、最初に登場するのは、神代紀下巻の冒頭。そこには、読み下すと、「吾、葦原中国の邪しき鬼を撥(はら)ひたいらけしめむと欲ふ」とある。

 

 高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させようとした際、そこに「邪しき鬼」がいたため、前もって退治しておきたいと願ったという。

 

 ここではそれを「邪神」と記しているが、実のところ、特段、悪逆非道だったわけでもなんでもない。国津神こと先住民族のことで、平和に暮らしていたはずの、何の罪もない民であった。

 

 それを侵略者である天孫族が、国津神つまり先住民族をまつろわす(征服する)にあたって、その行為を正当化するために、彼らを邪鬼と呼んで蔑んだまでであった。

 

 ちなみに国津神とは、縄文人と稲を携えてやって来た初期の弥生人(海人族か)のことを象徴的に表したものだと筆者は睨んでいる。両者は程よい関係を築きながら、特に大きな問題も起こさず共存していたとも推測している。

 

 一方の天孫族とは天皇の祖先だが、今日の私たちは「天孫族と国津神一族の混血」というべきだろうから、多くの人には、征服者の血とともに「鬼」と蔑まれた被征服者の血をも受け継がれていることになりそう。つまるところ、「私たちの多くが、鬼の末裔である」と言い換えることもできるのだ。

 

■外国人も「鬼」と呼ばれ、討伐対象に

 

 そればかりではない。経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづち)が大己貴神(おおあなむちのかみ)から国譲りの盟約を得た後、諸々の従わない「鬼神」を誅して天へと復命したとも記している。ここでもまた先住の民が、まつろわぬ民として鬼呼ばわりされて蔑まれているのだ。

 

 まだまだ続く。景行紀407月の条では、「山に邪しき神あり、郊に姦しき鬼あり」とある。景行天皇が日本武尊に東夷を征伐させようとした際に放った言葉で、「山に邪神が、野に姦鬼がいるから心せよ」という意味である。東夷の中でも特に手強い蝦夷が対象で、「姦鬼」とまで蔑んで、討伐すべき者と印象づけようとしているのだ。

 

 また、欽明紀512月の条には、佐渡島に粛慎(みしはせ)人なる異人種がやって来たことが記されているが、彼らのことを人ではなく「鬼魅(きみ)」とみなしていることに注目したい。つまり、ここでは外国からやって来た異人種までもをバケモノ扱いしているのだ。

 

 その他、斉明紀78月の条にも、朝倉山の上に鬼が現れて、天皇の喪の儀式を覗いていたとか。ただし、それは単に覗いていただけで、特に危害を加えた形跡はない。それでも、怪しげなる者だったことで、鬼とされてしまったようだ。

 

 こうして見ていけば、王権にとって征服すべき「先住の民」や「まつろわぬ民」ばかりか、「異人種」や「怪しげなる者」まで「鬼」と称されて、討伐すべき対象とみなされるようになったようである。

 

 ならば、『日本書紀』に登場する「鬼」なるものの正体は、王権側が自分の都合の良いように作り上げた虚像だったというべきなのかも。王権側の人たちの心の中に巣食っていた「悪しき心根」が、「鬼」を生み出したと言い換えることもできそうである。

 

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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