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アメリカ初の量産ジェット戦闘機ながら低出力で実戦には使えなかった【ベルP-59エアラコメット】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第2回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        ベルXP-59A。最大速度は664km/hで当時のレシプロ第一線戦闘機に劣った。機首に固定武装として37mm機関砲1門と50口径機関銃3挺を装備する。

         第2次大戦の緒戦では、イギリスはドイツに押されていた。バトル・オブ・フランスに敗れてダンケルク大撤退をかろうじて成功させたものの、続くバトル・オブ・ブリテンの激戦を戦う時期になると、自国における兵器生産は限界に達していた。

         

         しかし新兵器の生産は絶対に必要だった。そこでイギリスは、「海の向こうの兄弟」ともいうべきアメリカに援助を求める。既存の各種兵器の供給に加えて、イギリスが開発した最新技術を用いた兵器を、「デモクラシーの兵器工場」を自負するアメリカに量産してもらおうというのだ。

         

         そのためにイギリスはティザード・ミッションをアメリカに送って交渉をおこなったが、アメリカは当時、イギリスで完成していたジェット・エンジンのパワージェットW.1の提供を同ミッションから受け、これに自国のジェネラル・エレクトリック社で改良を加えてGE-J-31ジェット・エンジンを開発。

         

         そしてGE-J-31を搭載したジェット戦闘機の開発が、ベル社で開始された。ちなみにこの機体の開発は秘匿性が求められたため、すでに開発が中止されていた戦闘機P-59の型式番号が、あえて割り振られている。そして同様の理由から、同機が地上に置かれている間はダミーのプロペラが装着されていた。

         

         これがベルP-59エアラコメットである。全翼ともレシプロ機同様の直線翼で、主翼下面の胴体左右にGE-J-31を1基ずつ計2基搭載。1942年10月1日にベル社のテストパイロットであるロバート・スタンリーが高速タキシング中に機体を浮かせたが、公式の初飛行は翌2日に、陸軍航空軍のローレンス・クレイギー大佐によって行われた。

         

         しかし初期のジェット・エンジンはスロットルのレスポンスが悪く、しかもGE-J-31は低出力であった。そのためP-38ライトニングとP-47サンダーボルトを用いた性能比較と模擬空戦の結果、P59はこれらレシプロ機に劣っていることが判明。実戦機には使えないと判断された。

         

         しかしアメリカ初の実用ジェット戦闘機ということもあり、ジェット機導入の訓練機などとして戦時中に66機が生産され、海軍でも試験が行なわれている。だが結局、P-59が実戦に用いられることはついぞなかった。

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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