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大河ドラマ『べらぼう』花の井はどれくらいすごい花魁なのか? 吉原遊郭の遊女のランクと稼ぎ


大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の第1話では、蔦屋重三郎(演:横浜流星)と幼馴染の花魁・花の井(演:小芝風花)の関係性がテンポの良い掛け合いで描かれた。花の井は売れっ子の花魁として登場するが、吉原においてどれくらいの立ち位置にいたのか。吉原遊郭における遊女や妓楼のランクから解説する。


 

■厳格な“身分社会”だった吉原における遊女のランク

 

 遊女のランクは時代によって異なる。元吉原時代には上から最上級クラスの「太夫」、張見世で客を待つ「格子」、下級遊女の「端」というように分けられていた。

 

 明暦の大火後に移転した新吉原では、宝暦期以前までは「太夫」、「格子」はそのままに、「散茶(さんちゃ)」と呼ばれるクラスの遊女が登場する。散茶は、他の岡場所(非公認の私娼街)などが摘発されたことによって流れてきた遊女たちがメインである。また「端」と言われていた下級遊女たちは、妓楼で自分の部屋を持ってはいたものの、客の相手もそこで行う「局」と、「切見世」や「河岸見世」と呼ばれる粗末な長屋のような建物で客をとる遊女に分かれていった。

 

 宝暦期以降、つまり『べらぼう』が描く時代の頃になると、吉原においては「太夫」や「格子」がいなくなり、代わりに三番手だった「散茶」がトップに躍り出た。最上級クラスの遊女は「花魁」と呼ばれるようになる。そして、花魁の中でもランクが分かれていた。

 

 最高位にあたるのが「呼出(よびだし)」で、引手茶屋を通して客から指名を受け、禿や新造を引き連れて客を迎えに行った。これが「花魁道中」として、一種のパレードのように人々の注目を集めたのである。

 

次が「昼三(ちゅうさん)」で、その由来は昼見世(昼間の営業)でも揚代が金3分かかったというところにある。昼三も客からの指名を受けて茶屋まで出向くスタイルだったが、連れて歩く禿や新造の数が呼出よりも少なかったようだ。

 

 「付廻(つけまわし)」は揚代が金2分程度の上級遊女で、将来的には昼三になると見込まれていた遊女である。花魁とみなすかどうかは諸説あるが、少なくとも呼出や昼三のように花魁道中を行う権利はなかったという。

 

 「局」と呼ばれていた遊女たちも、「座敷持ち」と「部屋持ち」に分かれた。「座敷持ち」というのは、自身が寝起きする部屋のほかに、客の相手をするための座敷が与えられていた遊女である。ただし、営業成績や年齢等によって、この2つは昇格・降格が行われていた。

 

 そもそも、遊女がいる妓楼にもランクがあった。その規模が格、揚代の相場などによって、「大見世」、「中見世」、「小見世」、「切見世」に分かれていたのである。大見世にあがるためには、引手茶屋の仲介が必須だった。

 

 大見世のなかでも屈指の格式高さを誇ったのが「松葉屋」で、その他にも「扇屋」、「玉屋」、「丁子屋」、「大文字屋」、「若松屋」といった名だたる妓楼が鎬を削っていた。

 

 『べらぼう』に登場する花の井は、吉原で一、二を争う大見世「松葉屋」のナンバーツーである(物語開始時点のトップは松の井という花魁らしい)。ランクは「呼出昼三」で、最高位の花魁だ。呼出昼三の揚代は金1両1分ほどだったとされている。現代の円に換算することは容易ではないが、あくまで目安としていうなら大体10万円前後だろう。

 

 当然揚代だけでなく、祝儀(チップ)や酒宴にかかる代金などもかかったので、吉原で遊ぶためには莫大な金がかかった。重三郎は花の井に対して「一晩で10両、20両稼ぐだろうが」と言っていたが、これも純粋な揚げ代だけでなく、花の井と客が遊ぶために一晩で落とした金額、と捉えたほうがいいだろう。

 

 花の井は既に後に伝説の遊女の名跡「瀬川」を継ぐことが明かされている。吉原きっての名妓として名を馳せる彼女は今後どのように物語に関わっていくのだろうか。

イメージ/イラストAC

<参考>

■菅野俊輔監修『図解 吉原遊郭入門』(宝島社)

■田中優子『遊郭と日本人』(講談社現代新書)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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