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天皇陛下も目にすることが許されない「三種の神器」 草薙剣はどんな形をしているのか?

炎上とスキャンダルの歴史


皇位継承儀式に不可欠とされる「三種の神器」。現役の天皇陛下でも目にすることが許されないほどの宝物である。しかし、熱田神宮の大修理のとき、「草薙剣」を目にしてしまった者がいた。彼らは「神罰」で病を得て、数年内に亡くなったとされるが、どういうことなのだろうか? また、「草薙剣」はどのような形態をしていたのだろうか。


 

■火災に見舞われて、なぜか無事だった「草薙剣」

 

素戔鳴尊(ColBase)

 

 現在では天皇陛下ですら決して見ることが許されない「三種の神器」ですが、崇神天皇の御代以来、三種の神器のうち「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」の本体(オリジナル)は熱田神宮(現在の愛知県)で保管されることになりました。現在の宮中の「剣璽の間」にあるのは、平安時代後期の帝・順徳天皇によって制定された二代目の形代、つまりコピーということです。

 

 宮中の「草薙剣」の初代の形代は、平安時代後期の源平合戦の際、平家の貴人たちとともに壇ノ浦に水没し、その後、何度捜索しても見つかりませんでした。熱田神宮の「草薙剣」の本体は戦乱には巻き込まれてはいませんが、大きな火災に見舞われたことはあるようです。

 

 熱田神宮では16世紀くらいには、天照大神や日本武尊などの五柱の神々が祀られた「正殿」に隣接した「土用殿」において、「剣」が祀られていたことが正式に判明しています。しかし13世紀の時点ですでに正殿と、「剣」を祀る御殿が別々だったことが、後深草院二条という女性の証言から推察されるのです(『とはずがたり』)。

 

 二条は後深草天皇、亀山天皇という天皇家の兄弟の共通の愛人でしたが、不品行を理由に宮中から追放され、日本各地を旅して回りました。彼女が熱田を訪れた際、熱田神宮の火災に遭遇したというのですが、御殿は燃えてしまったのに、「御剣」と保護用の箱はなぜか無事だったそうですよ。興味深いですね。

 

■草薙剣の実物を見てしまい、「神罰」で死亡!?

 

 現在までに一度も火災に見舞われていない三種の神器はおそらくひとつもなく、平安時代の宮中にあった「鏡」などは大火事で溶けて、「玊金の如き物数粒」となってしまったという衝撃の記録が、平安時代中期の公家・藤原資房の日記『春記』に出てきます。長久元年(1028年)99日のことです。

 

 しかし熱田神宮の「草薙剣」は火事に遭遇しながらも、完全に原型を保っていたことがわかる目撃情報が江戸時代にあります。

 

 江戸時代は、神道よりも仏教が隆盛した時代でした。かつては天皇家、後には織田信長や豊臣秀吉から保護されてきた熱田神宮も、江戸時代中盤にあたる貞享3年(1687年)に大修理が行われるまでは荒廃しきって、松尾芭蕉が貞享元年(1684年)に参拝しようとした時には廃墟同然だったそうです。

 

 この大修理の時期、熱田神宮の神職たちの手によって「草薙剣」とその保護箱も補修されただけでなく、本来ならばタブーであるはずの「剣」の実見まで行われてしまったのでした。

 

 名古屋藩士で国学者の天野信景(あまの・さだかげ)による『塩尻』という書物の記述をまとめると、草薙剣の実物を見てしまった神職たちは「神罰」で病を得て、数年内に死んだそうです。

 

 彼らが命がけで得た「剣」の形態に関する情報は天野にも伝わっていたものの、彼はそれを「不敬」として、書き残しませんでした。

 

■神職たちが目にした「草薙剣」の姿とは

 

 その後、熱田神宮の神職たちが「草薙剣」をふたたび見てしまったという記録があります。享保12年(1757年)、玉木正英が編纂した『玉籤集(ぎょくせんしゅう)』の記述によると、「草薙剣」が安置された「土用殿」に入った神職たちの行く手は「雲霧(くもぎり)立ち塞がり」、遮られていました。

 

 しかし扇で換気しながら彼らは内部まで侵入し、手元灯である「隠し火」で照らし、長さ五尺(約150センチ)の木箱、その中の石の箱、さらに石の箱の中にあったクスノキの丸太で出来た箱を次々と開いていったところ、クスノキの丸太の中身はくり抜かれた空洞で、金が敷き詰められた上に「剣」が横たわっていたそうです。

 

 神職たちの記録によると、「御神体」こと「草薙の剣」の長さは「二尺七八寸(80センチ以上)」。刃先は「菖蒲の葉」のようで、中程は「ムクリと厚みあり」、刃元は「節立つて魚等の背骨」のようで、剣の色は「全体白し」(栗田寛『神器考證』に引用された『玉籤集裏書』)……。

 

 この文字情報と、各地の古墳などから出土した古代の刀剣をもとに「草薙剣」の外見を想像する学者もいますが、「不思議な形」としか言いようがありません。全体が「白い」という部分も興味深いですね。定期的な手入れなしでも、錆びついていなかったということでしょうか。

 

 しかし、「剣」を見てしまった神職たちの大半は病死していき、生き残りの一人の証言を書き留めたのが先述の玉木正英の『玉籤集』なのでした。それ以降、「草薙剣」の実物を見た者はいないそうです。

 

画像出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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