熊と人間の共生のあり方とは? マタギと犬の歴史から考える動物との付き合い方
日本人と愛犬の歴史 #10
全国で相次いでいる、熊による被害。人里に熊が下りてきて住民を脅かしており、連日ニュースでも取り上げられている。では、歴史上において人と獣はどのような関係にあったのか。そのカギを握るのが、「マタギ」と呼ばれた人々である。マタギ犬と共に独自の生命観によって獣と向き合い続けた先人の姿を知り、今改めて動物と我々人間の共生について考えてみたい。

『ふるさとの想い出写真集明治大正昭和新庄』より、大正6年撮影のマタギ装束。
出典:新庄デジタルアーカイブ
■相次ぐ熊の被害 獣と人間の共生の新局面
熊による被害が拡大している。北秋田が集中的に狙われているが、ついに首都圏にも現れた。熊をはじめとする野生生物の脅威におびえつつも、里山をはさんで棲み分けてきた日本人の生活が、新たな局面を迎えている。
かつて日本には、「マタギ」と呼ばれる熊撃ちがいた。北海道や東北を中心にした東日本で、独特の伝統的な猟法で獣を獲っていた猟師である。熊の他に猪(いのしし)やカモシカを獲ることもあった。狐狩りのような、欧米式のハンティングとは違う。また、今でもいる趣味のハンターとも違う。独自の生命観に立ち、自然と共存する哲学と文化を持つ猟師だった。マタギはふだんから山に住み、主に農作業ができない冬に猟をしていた。
害獣の駆除と食糧の確保という二面性を持つマタギ猟をつなぐのは、その独自の生命観だった。撃った熊はあえて食べる。自然からの恵みとして命をいただくのである。マタギの源流は諸説あるが、有力なのは縄文時代の狩猟採集文化に由来するというものだ。
弥生文化が入ってきて農耕が主流になる中でも、山に住み続け、猟を続けた人々ではないかというのである。農耕は自然を切り拓き、開墾して行う。人間が生きていくためには仕方ないことだが、農業こそ環境破壊の始まりだという説もあるぐらいだ。
民俗学者の宮本常一は、マタギを「山の民」だとしている。農耕以前の、あるがままの自然の中で生きていた日本人の末裔だという解釈だ。彼らはもともと狩猟専業者で、当然ながら日本の犬を連れていた。
日本の犬は縄文時代から人間と暮らし、猟の友をしていたと考えられる。その中でも小型のものは主に兎や鳥などを獲り、日本犬保存活動を経て今の柴犬となった。マタギ犬はもう少し大きい、今でいう北海道犬ぐらいの大きさだったと思われる。北海道犬はもともとアイヌ犬で、生粋のマタギ犬である。
そして東北の犬もマタギ犬だった。しかし今、東北の犬というと秋田犬しか残っていない。秋田犬も昔は今ほど大きくなく、北海道犬ぐらいの大きさだった。両者には血の交流もある。地理的に近いこともあって、北海道と東北には古くから、経済的にも文化的にも交流があった。
昭和初期、絶滅を防ぐために日本犬保存活動が始まった頃、東北では闘犬が盛んだった秋田以外の犬はすでに絶滅に向かっていた。それでも青森や岩手には、いい犬が少し残っていたのである。しかし保存することはできず、それらの血は秋田犬に流れ込んだ。そして敗戦後、秋田犬を欲しがったアメリカ軍兵士の好みに応じて大型化した。
マタギは日本犬と共に、人間と熊との間に立って融和を図っていた。そんなマタギも、近代化する日本の中で次第に居場所をなくしていく。すでに昭和の初期、マタギも日本犬も山奥に追いやられ、人目につかない存在になっていた。
山梨日日新聞が昭和52年の元旦から連載した『甲斐犬物語』に、少年時代を山梨県南巨摩郡で過ごしたという男性の、こういう回想が掲載されている。
「山から出てくる人々は、大衆雑誌の主人公のような古武士の風格によく似た犬ばかり連れてくるものだと、子ども心に強く感じた」。マタギは「山から出てくる人々」で、日本犬は「古武士の風格によく似た犬」とされている。その辺にはいない、見慣れない犬になっていたのである。
1980年代以降、環境保護や自然との共生が課題になって、消えゆくマタギを惜しんで何冊も本が出た。『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(ヤマケイ文庫)、『マタギ 消えゆく山人の記録』(慶友社)、『奥会津最後のマタギ 自然との共生を目指す山の番人』(小学館)など、探せばたくさんある。
熊が町まで下りてきて人間と遭遇するようになり、日本は今、従来の動物愛護論や共生論だけでは難しい段階に来ている。開発で数が減り、以後は保護という形で共生してきた熊を、再び駆除しなければならなくなった。
我々はこの課題とどう折り合いをつけ、対処していったらいいのか。こういう時だからこそ、熊と共生しつつ単なる駆除とは違う形で向き合っていた、日本独特の「マタギ哲学」が見直されているのだろう。
そんな折も折、4年近くにわたって乳牛を襲い続けてきた熊、OSO18が7月30日に駆除された。人前に姿を見せずに罠をかいくぐり、ハンターを翻弄してきた熊は最後、病んで痩せて横たわり、自治体職員の手によってあっけなく駆除されたのである。
驚いたのは、そのあとすぐに解体場に移されて流通し、ジビエ店で調理されていたことだ。OSO18の肉だとわかると予約が殺到したという。熊肉食は自然に感謝しつつ命をいただくのではなく、野趣を楽しむ趣味嗜好に変貌しつつあるのではなかろうか。
10月15日に放映されたNHKスペシャル『OSO18 怪物ヒグマ最期の謎』によると、恐れられていたOSO18は実は弱い個体で、仲間によって餌場から追いやられ、主食である木の実を食べることができなかったらしい。そして、人間が駆除して放置していた蝦夷鹿(えぞじか)を食べて、肉食になったと推測されるという。その結果、偏食によって体調を壊し、動けなくなっていたのではないかということだった。こうして見ると、その過程に人間の関与もあったかもしれない。
その熊対策として今、追い払い犬(ベアドッグ)が注目されている。軽井沢では以前から、熊が別荘地に出没し被害を受けていた。そこで、犬による追い払いを試みてきて、成果を上げてきている。
筆者の知り合いが北秋田に住んでいて、熊が時々姿を見せるのだという。恐ろしい話だが、その度に飼っている柴犬が吠えて追い払うそうだ。もちろん、犬にも個体差があるから、全ての犬がクマを撃退できるわけではない。しかし、日本犬の中には、間違いなくマタギ犬の血が流れている。日本犬は本来、可愛がるだけの存在ではない。熊対策の一環として、個体を選んで訓練してみるというのもまた、考え得る手段の一つなのかもしれない。