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なぶり殺されても体を許さなかった「吉原の女」がいた⁉

江戸の美女列伝【第3回】


美貌に加えて当時最高の教養を身に着けていた吉原の太夫(たゆう)。彼女たちの中には、金になびかず、自らの心に従い命を落とした者もいた。


 

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師月岡芳年が手掛けた仙台高尾の像。江戸時代初期の女性であったことからそれにふさわしい髪型と服装をしている。「都幾の百姿」「たか雄 君は今駒かたあたりほとゝきす」 東京都立中央図書館蔵

 吉原は、徳川幕府公認の遊郭で、三浦屋など格式の高い妓楼(ぎろう)があった。こうした妓楼には、大名をはじめとする身分の高い武士や成功した商人たちなどが遊びに来る。大名の相手を務めるには、茶の湯、書、歌だけでなく箏(こと)、三味線(しゃみせん)などの音曲、時には囲碁や将棋の対局相手になることも求められたという。つまり、床の中以外でも相手を楽しませなければいけなかったのだ。そのため幼少のころから様々な教養や芸事を身につけるよう仕込まれる。それが太夫や花魁(おいらん)と呼ばれる女性であった。

 

 しかし、太夫や花魁と呼ばれるような位の高い女性と同衾(どうきん)するにはいろいろと手間と時間がかかるようになっていた。なぜかといえば、吉原では実生活ではなかなか体験できない恋愛をしていると男性たちに錯覚させるシステムだったからだ。

 

 疑似恋愛だから、出会ったその日に床入りはしない。最初は指名した女性と口を利くこともできない。そういえば、子供のころ、好きな人の前で口もきけなかったなあと思う人もいるのではないだろうか。2回目に会うことを裏を返すというが、これは1回から時間を空けずに行う。3回目にしてやっと念願の床入りとなる。疑似恋愛だから、吉原の他の女性のところに行くのはご法度。浮気がばれたら当分の間、人前に出られなくなるように罰を受ける。

 

 吉原の女性たちは自身が身に着ける着物やかんざしなど装飾品はすべて自分で負担しなれければならない。それに加えて太夫の場合、身の回りの世話をする禿(かむろ)と呼ばれる見習いの少女たちにかかる費用もすべて負担する。即金で支払えればよいが、そうでなければそれが借金となり、その借金には膨大な利子がつく。女性はもともとの借金に加えてその借金を返さなければならない。だから、女性たちはなじみになった客を、せっせと自分のもとに通わせ、着物などを貢がせる。だから金離れの悪い男は嫌われた。

 

 だが、金が物をいう吉原でも、買われる側の女性が男性を拒絶することもあった。

 

 その事で有名になった女性がいる。三浦屋の高尾太夫(たかおだゆう)だ。高尾太夫は、三浦屋のもっと位の高い太夫が代々名乗る名前である。何人いたかは諸説あるが、11人いたとするのが一般的であるようだ。

 

 この中の「仙台高尾(せんだいたかお)」と呼ばれているのが問題の女性である。初代高尾とも、2代目高尾、3代目高尾を仙台高尾とする説もあり、いまひとつはっきりしない。

 

 この高尾太夫がなぜ、「仙台高尾」と呼ばれるかというと、仙台3代藩主伊達綱宗(だてつなむね)によって身請(みう)けされたからだ。身請けする相手が、妓楼に金を払い、女性の抱える借金を清算。しかし、女性にとっては、身柄を拘束する相手が妓楼から、身請けした相手に代わるだけだ。身請けする相手が好きな人ならばよいが、世の中そう都合よくはできていない。

 

 一説によると伊達綱宗は3000両もの大金で、高尾太夫を落籍させた。ところが、高尾はいっこうに伊達綱宗に体を許さない。指を切り落とすと脅しても態度は変わらず、じれた伊達綱宗は、高尾を船上で逆さづりにして切り刻み、川の中に投げ捨てたとされる。彼女には某藩士の恋人がおり、その恋人に操(みさお)を立てたのだという。

 

 実は、この話、どうやら史実ではないらしい。伊達綱宗は、後に伊達騒動と呼ばれる伊達家のお家騒動の発端となった人物。吉原に足繁く通うなど素行不良が指摘され、藩主の座を追われ押し込められてしまったのだ。藩主を「クビ」になるくらいだからこれぐらいの悪い事はしていたのだろうということだろうか。一説には伊達綱宗と高尾の恋人である旗本の某(なにがし)が、身請けの金額を競ったが、高尾は高額を示した伊達綱宗ではなく、恋人を取ったという。

 

 こうした話が語り継がれる背景には、江戸の人々が、金に物言わせる者の言いなりになることなくあくまでも恋人に心を寄せる女性を支持したことにあるのだろう。

 

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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