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戦国最強の海賊・村上水軍とは一体何者だったのか⁉─歴史と隆興─

戦国レジェンド


戦国時代、日本にも「海賊」と呼ばれる者たちがいた。村上海賊である。彼らは瀬戸内海を中心に戦国の世を席巻し、ときには戦国の覇者・織田信長を苦しめた。ここでは村上海賊の誕生からの歴史と隆興をたどる。


 

■平安からはじまる村上の歴史 海の支配者として地位を築く

 

村上海賊の拠点のひとつ・因島に建つ因島水軍城。

 

 イエズス会宣教師ルイス・フロイスが著書『日本史』には「日本中で最高の海賊としてその座を奪いあってきたのはただふたりだけ」という部分がある。そのふたりこそが、能の島村上(しまむらかみ)氏の武吉(たけよし)と来島(くるしま)村上氏(のち来島氏)の通総(みちふさ)だった。ふたりはそれぞれ瀬戸内海の大島を挟む小島、能島と来島の土豪だが、水軍を率い活躍した。

 

 ここではまずふたつの村上水軍(むらかみすいぐん)の誕生からの歴史を紐解いていこう。村上氏の出自は前九年(ぜんくねん)の役(えき)で有名な源頼義(みなもとのよりよし)の弟、頼清(よりきよ)に始まるという。その子孫の内、信濃(しなの)に定着したものが武田信玄と死闘を繰り広げた村上義清(よしきよ)に至る信濃村上氏、そしてもうひとつが本稿の主役、瀬戸内村上(せとうちむらかみ)氏である。それが伊予(いよ)国の河野(かわの)氏に仕え東部の新居大島(にいおおしま)に勢力を扶植し、南北朝時代になって水軍の雄・村上義弘(よしひろ)によって西方、現在はしまなみ海道として知られる広島県・愛媛県間の諸島へ進出。因島(いんのしま)・能島を拠点として瀬戸内海を睥睨(へいげい)したという。

 

 ただ、以上はあくまでも伝承であり、しかもその後この血統は絶えている。

 

 その跡を襲ったのが、武吉・通総へと続く村上氏だ。これは伊勢国司・北畠(きたばたけ)氏の一族で信濃から移って来たという師清(もろきよ)が始祖という。この師清は南朝の名将・北畠顕家(きたばたけあきいえ)の子、顕成(あきなり)が改名したものとも伝わるが、貴種伝承の一種だろう。これが河野氏に仕えて義弘の名跡を継承し、瀬戸内村上氏を継続させた。

 

 鎌倉幕府執権・北条(ほうじょう)氏の名跡を襲った後北条氏の様に、後村上氏とも呼ぶべき系統である。師清には3人の孫息子がいて、本家の長男・雅房(まさふさ)が能島を、次男・吉豊(よしとよ)が因島を、三男・吉房(よしふさ)が来島を、それぞれ本拠とする。これが三島村上水軍の始まりとなった。雅房の後胤(こういん)が武吉、吉房の子孫が通康・通総の父子である。その中で能島村上氏は河野氏から大内(おおうち)氏、毛利(もうり)氏、来島村上氏は河野氏から豊臣氏へとその主君を替えていく。

 

 師清が水軍を率いて南朝のために活躍したという伝承とは別として、村上氏が水軍として機能し繁栄できたのは能島・因島・来島を制することが出来たのが大きい。因島は別として能島と来島は非常に小さい島だから、農業で生活を立てるのは難しく、海に頼るしかなかった。と言うよりは、むしろ意図的にそういう島を選んだのだろう。瀬戸内の海には、それだけの大きな変革をおこなっても割りに合うだけの、充分な収益のアテがあった。瀬戸内海の東西の舟運を遮る形になる群島の要衝を押さえ、通航する船を襲撃し乗組員を殺戮(さつりく)する。まさに「海賊」行為だ。このままでは瀬戸内海を通じて都に送られる物資が途絶してしまう。

 

 平安時代の藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱を想起させる事態に朝廷・幕府は震撼した。そして村上水軍を懐柔して取り込もうと遣明船(けんみんせん)のガード役を与える。三島あたりは岩礁の地形なども複雑で潮の流れも緩急の変化が激しい。それを安全に導くようにというお墨付きと遣明船からの徴税権利を頂戴した彼らは、自分たちのことを「警固衆(けいごしゅう)」と称した。警固はすなわち警備、警察、番人である。海の関守として正当な通航船(すなわち素直に税を払う船という意味なのだが)には水先案内をおこない、他の海賊から守る。不当な通航船(税を払わないだけなのだが)は襲撃し、航海を妨害し、積み荷を根こそぎ略奪し、命を取る。

 

 この生業で村上水軍の男たちは日常番船を数百艘(ひゃくそう)周辺海域に出して船の往来を監視し、島々の高みに置かれた番所に駐在する者が船の通航を発見すれば、すぐに太鼓で番船に知らせたという(『与陽河野盛衰記』)。正当な通航船には「過所旗(かしょき)」(通航証)が与えられた。

 

 また、自分たちも遠方との海上交易を行ったという。海という環境を最大限活かし、自らをアウトローから転換させたのだ。

 

村上氏家系図

 

監修・文 橋場日明

歴史人2023年3月号「戦国レジェンド」より

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