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「空白の4世紀」の謎を解明する貴重な文化財 卑弥呼の時代から倭の五王の時代に何があったのか?


中国の史書に倭国の情報が途絶える3世紀後半から5世紀初頭までのおよそ150年間を「空白の4世紀」と呼びます。ただ、この150年間は日本列島で政治体制や文化力が劇的に変化した期間ですから、謎のままにしてはおけない重要な世紀なのです。


 

■記録が失われる150年間に何が起きていたのか?

 

 『魏志倭人伝』に記載される邪馬台国の女王台与(壱与)の時代から、5世紀初頭の倭の五王の時代まで、およそ150年間の日本列島の状況がさっぱりわかりません。頼りの中国大陸も戦乱が続いて倭国どころではなかったらしく記録が絶えることと、わが国にはリアルタイムで記された記録が一切ないことがその理由です。

 

 しかしながらこの空白の期間には前方後円墳が四方に広がり、大和王権が広がっていく状況証拠がはっきり残っています。つまり、この間の物的証拠は数多くの古墳としてしっかり残されているのです。

 

 それなのになぜわからないことだらけなのかというと、まず第一に古墳のほとんどが過去に盗掘されていて、埋納された貴重な副葬品や人骨が失われていること。第二に研究のための発掘や出土した遺物の保護管理や調査のための費用が明らかに足りていないこと。第三に宮内庁管理の大古墳の調査が一切許されていないこと、が大きな理由かと思います。ですからこの重要な空白の期間に埋納された遺物が発見されると、非常に大きな謎解きへの貢献になるのです。

 

 例えば日本最大の円墳、奈良県の富雄丸山(とみおまるやま)古墳から出土した、長大で奇妙にうねった形の蛇行剣(だこうけん)と盾型銅鏡は、最重要な出土品だといえます。

 

 奈良市西部の富雄丸山古墳は4世紀後半の築造だと考えられています。現在の奈良盆地から河内平野に大古墳が進出する頃の古墳です。世界に例を見ないほど長大な蛇行剣という立派な鞘に納められた鉄剣が、その頃の日本列島内で造られているのです。また同時に出土した、これまでに見たことも無い鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡の素晴らしく精緻な出来栄えはどうでしょう!

 

 この大円墳が大和への出入り口を守るように築かれたころに、大阪府の古市古墳群北端に津堂城山(つどうしろやま)古墳という大型前方後円墳が築造されます。その後、誉田御廟山(こんだごびょうやま 応神天皇陵)古墳などが大阪府藤井寺市と羽曳野市に。同時に堺市に大仙古墳などの百舌鳥古墳群が築かれるのです。まさに大和王権が爆発的に強大化し、日本列島に広く影響力を伸ばしていく姿が残されているのです。

津堂城山古墳出土の石棺再現物
撮影:柏木宏之

 とはいうものの、学術調査ができない古墳が多いのは残念ですが、調査された3世紀から5世紀の古墳から出土する副葬品をザっと見てみると、銅鏡主流時代と武具馬具主流時代に分かれるように見えます。

 

 4世紀のうちに日本列島にはいなかった馬が登場したのはなぜでしょうか? 朝鮮半島に攻め込んだ歩兵倭軍が敵の騎馬軍団に大敗したことが馬の導入のきっかけではないかという説がありますが、たしかに空白の期間に馬具が一気に多くなります。

 

 そして出土品で貴重なのが、埼玉(さきたま)古墳群の5世紀後半の築造と推定される稲荷山古墳から出土した金錯銘文(きんさくめいぶん)鉄剣でしょう。さまざまな説がありますが、115文字に記された銘文から21代雄略天皇の実在を証明するものとして注目されています。

 

 鉄剣には大和の大王の近衛隊長のような杖刀人首(じょうとうじんのおびと)を拝命したことを誇らしげに書いています。雄略天皇の時には今の埼玉県の武人が奈良県で近衛兵を務めていたという事でしょうか!

 

 銘文鉄剣といえば奈良県桜井市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に伝わる国宝七支刀(しちしとう)があります。この七支刀も年代にはさまざまな説があったのですが、最新の調査で判明した有力な説は、西暦369年に百済で製作されて、372年に日本列島にもたらされたという説です。

七支刀説明板より/石上神宮展示
撮影:柏木宏之

 2025年の国立奈良博物館「超国宝」に展示されたのをきっかけに、CTなどを使って詳細な調査がなされました。その結果、年号は「泰和」であることがほぼ確実になったそうですから、もろに空白の4世紀ど真ん中に百済から大和に届けられていることになります。

 

 この不思議な形をしてマジカルパワーを秘めた七支刀の銘文からは、当時の百済と大和王権の関係性が推測されるのです。

 

 ほかに朝鮮半島の付け根にあった高句麗の好太王碑文(こうたいおうひぶん)も重要な記録です。倭国と呼ばれたわが国の祖先が海を渡って朝鮮半島国家とどんな関係にあったのかが見えるようです。

 

 このように誠に断片的に極めてわずかな史料を頼りに歴史学界は研究と推理、仮説と証明を続けているのですが、やはりせっかく残されている古墳群の真摯な学術調査ができればなあ・・・、と思ってしまいますね。

 

 つい先日、全国1位の大きさを誇る大仙古墳(仁徳天皇両古墳)の前方部で、明治初期に露出した石棺の調査時に出土した鎧の破片と刀子(とうす)の実物が市中で発見されました。前方部の石棺ですから大仙古墳の主人公ではありませんが、男性の埋葬であろうと思われますし、私が注目するのは「豪華な鞘入り刀子」です。常識的には木棺に字の書ける人物である可能性を伺わせます。

 

 わが国の国家創造にもっとも重要な期間である150年間をこのまま空白にしておいて良いわけがありません。予算が欲しいですね。そして宮内庁にも協力して欲しいですね。

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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