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多くの日本人がわかっていない「韓国の行動原理」 なぜ「反日」「親日」が変わるのか? キーワードは「民族主義」

歴史でひもとく国際情勢

 

■初代大統領が不正選挙で辞任後、朴正煕(パク・チョンヒ)の独裁体制に

 

 19533月に朝鮮戦争が停戦した後、初代大統領・李承晩(イ・スンマン)は国内の権力基盤を高めようとしますが、与党の支持率は低い状態が続きました。次第に独裁的になっていった李承晩は、大々的な不正選挙に手を染めました。これに怒った国民が1960年4月に大規模なデモを敢行し、李承晩を辞任に追い込みます。

 

 ところが19615月に、軍人・朴正煕(パク・チョンヒ)がクーデターを起こし、軍部政権を樹立させました。彼は憲法で禁じられた4期目の大統領職就任を実現するため、197210月にもクーデターを行っています。文字通りの独裁体制です。

 

 朴正煕は、金大中(キム・デジュン)や金泳三(キム・ヨンサム)ら、野党政治家や民主運動家を容赦なく弾圧しました。強力なリーダーシップのもとで韓国を経済発展させることを目指した朴正煕は、日本との国交樹立を急いでいきます。

 

 国交を結ぶにあたって日本から受けることとなった「無償3億ドル、有償2億ドル」という経済援助の条件は、韓国世論の猛烈な反発をもたらします。世論のみならず、野党政治家や民主運動家もこぞって「国交正常化反対」を訴えました。しかし、米国が自由主義陣営同士である日本と韓国の関係の正常化を促していたこともあり、19656月に「日韓基本条約」が締結され国交が樹立されます。

 

■死者240名におよぶ「光州事件」後も大衆は諦めず、民主化を成しとげた

 

 朴政権の末期には早期の民主化を求める大衆運動が盛んになり、野党政治家や民主運動家への国民の期待が高まっていました。そんな中、197910月に南部の釜山と馬山で始まった大規模デモの対処をめぐり、政権内での意見の対立から朴正煕は暗殺されてしまいます。

 

 しかし軍部独裁は終わらず、19805月には、南西部の光州市で発生した大規模デモに対して軍と警察が徹底的な鎮圧活動を行いました。被害者の数は死者240名、負傷者5019名とされています。

 

 このような強権的な手法に訴えても、大衆運動は止まることはありませんでした。軍部独裁政権は1987年の大統領選挙から直接選挙制を導入し、金大中ら野党候補にも出馬を認めました。こうして韓国は民主化を成し遂げました。

 

 韓国人は「大衆の力」によって独裁体制を打倒し、民主化を勝ち取ったという歴史を持つのです。基本的にこの時の民主活動を支持した政党がリベラル=左派となり、軍部の後継政党は保守=右派となっています。

 

■反米・反日で北朝鮮との融和を図る<左=民族主義>、その逆の<右=愛国主義>

 

  1998年に大統領に就いた金大中(キム・デジュン)は、韓国における左派の象徴的なリーダーで、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長との南北首脳会談を実現させ、南北融和を進めました。彼以降に大統領に就いた左系の大統領も、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)とも北朝鮮との和解と協力を積極的に進めました。

 

 そこにある感情は、「大国によって不当に分断されてしまった民族統一を成し遂げたい」というもの。しかも武力ではなく、対話によって果たそうという考えです。背景にあるのは「自分たちの力で民主化を成し遂げた」という自信と、「最貧国から先進国にまで経済成長した」というプライドです。

 

 それに加え、左派の人には根強い「米国への不信」があります。韓国では人々の間に反米感情を高めるきっかけとなった事件が数多く起きています。1997年の「アジア通貨危機」、2002年の「米軍装甲車による女子中学生2人轢死事件」、2003年の「牛海綿状脳症(BSE)問題」など。米国が韓国に駐留し続け、政治的にも韓国に影響を与え続ける限り、南北統一は成し遂げられないと左派の人は考えるのです。

 

 そのため左派の人は、反米・反日のスタンスが強く、南北統一を成し遂げるためのイデオロギーとして「韓国/朝鮮民族主義」を志向します。

 

 これと対極にあるのが、軍部体制の流れを汲む<保守派=右派>で、彼らは基本的に北朝鮮を「主敵」とみなし、米国や日本と軍事的・政治的に協力関係を築こうとします。そのため右派の人は、民族主義ではなく、「愛国主義」のほうが強い傾向があります。

 

■なぜ大統領ごとに「親日・反日」が変わるのか?

 

 左派の文在寅(ムン・ジェイン)政権時代、日韓関係は「韓国海軍レーダー照射問題」や「徴用工問題」、「従軍慰安婦問題」などで、過去最悪と言われるまでに悪化しました。その一方で、次の右派の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は歴史清算を掲げ、軍事・政治の分野でも日韓の協力が進みました。この極端な違いも「韓国の民族主義」のフレームにはめてみると分かりやすくなります。

 

 <左派=文在寅政権>が民族主義を強めた理由は、北朝鮮と和解し米国や日本と距離を置いて、政治的・経済的な「自力」をつけたいからです。日本は朝鮮半島を併合した過去があるため、「悪」とみなしイデオロギーの一部に組み込んでしまいます。

 

 <右派=尹錫悦政権>が民族主義にこだわらない理由は、韓国の国体維持を第一に考え、北朝鮮を一番の「主敵」とみなすため、米国・日本との連携が必要だったからです。そのため日本との歴史的な懸案事項は早めに処理してしまったのです。

 

 もちろん政治の論理は民族主義だけではありませんし、ほかにも複雑な因子が作用しています。今後、韓国の政治がどのように展開するのかはわかりません。しかし、政権の行動原理を理解するための一つのフレームとして「民族主義」を理解しておくと有用でしょう。

 

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尾登雄平おとうゆうへい

1984年福岡県生まれ。出版社にて勤務する傍ら、世界史の面白いネタを収集するブログ「歴ログ-世界史専門ブログ-」、YouTubeチャンネル「歴ログ-世界史専門チャンネル-」を運営。歴史ライターとしても活動し、ビジネス雑誌、企業オウンドメディア、会報誌などに寄稿する。著者に『あなたの教養レベルを劇的に上げる 驚きの世界史』(KADOKAWA)、『「働き方改革」の人類史』(イースト・プレス)がある。

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