いきなり衣服をつかんで引きずり込み、強引に… 光源氏による衝撃的な「強姦」エピソード 今なら「不同意性交等罪」レベルの所業とは?
日本史あやしい話
『源氏物語』の光源氏は数多くの女性と浮き名を流したが、中には強引にことに及ぶケースもあった。その相手が、朱雀帝の后・朧月夜(おぼろづきよ)で、光源氏は彼女を強姦した上、密会を繰り返した。なぜ紫式部がこのような過激な場面を挿入したのかはわからないが、どのような内容だったのか、見ていこう。
■朧月夜に襲いかかった光源氏の「非道」

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『源氏物語』の主人公・光源氏といえば、数々の女性遍歴を繰り返したとして知られるプレーボーイである。藤壺との禁断の恋をはじめ、六条御息所や夕顔、明石の御方等々、数え切れないほどの女性たちと浮名を流したものであった。
いずれの女性の場合も、その寝床へと忍び込むには、まず、お付きの女性に手引きしてもらうなど、当時の慣習に従って、それなりの手順(事前に本人と文を交わすなどで承諾を得るのが当たり前であった)を踏んで寝床へと忍び込むのというのが、彼にとっても、当たり前のことであった。
ところが時には、こんなまどろっこしい手順など踏まず、いきなり女性の部屋に忍び込んで、有無を言わさず強姦まがいの行為に及んだこともあった。なぜ紫式部がこんな過激な行為を書に盛り込んだのかは計り知れないが、そのお相手というのが、右大臣の六の君・朧月夜であった。
その出会いは、衝撃的である。
■藤壺との逢瀬が叶わず、うろついていた光源氏
南殿の桜の宴が催された、ある夜ふけ。ほろ酔い加減で愛しの藤壺逢いたさに、その館周辺をさまよい歩いていた時のことである。あわよくば中に潜り込んで、久方ぶりの逢瀬を楽しもうと期待していたのだ。ところがこの時、日頃手引きしてくれる女房の局の戸口がぴたりと閉じられていたため、なすすべもなくうろつくしかなかった。
それでも諦め切れずに躊躇しているうちに、ふと、向かいの弘微殿の細殿(庇の間)の戸口が開いているのが見えた。と、何を思ったのか、躊躇することなく中に入り込んでしまったのだ。
そこに現れたのが朧月夜であった。この時、果たして光源氏が暗闇の中で彼女の容貌を見定めることができたかどうか定かではないが、若々しく美しい声に惹かれて欲情したようである。
と、いきなり彼女の裾を掴んで庇の間へと引き摺り込み、戸を閉めてしまった。そしてあろうことか、そのまま彼女に襲いかかり、強引にことを成し遂げてしまったというから驚くばかりである。
■被害者であった朧月夜も、やがて光源氏の虜に
もちろん、朧月夜の方も、訳もわからず見知らぬ男が入り込んで襲いかかってきたたわけだから、一度は声をあげて抵抗しようとしたようだ。しかし、声の主が光源氏らしいとわかるや途端に気が緩み、為すがまま身を委ねたという。
果たしてそれが彼女の同意を得たことになるのかどうか微妙なところではあるが、もし彼女が訴え出れば、今なら「不同意性交等罪」という罪に問われ、5年以上の禁固刑に処されるところである。それでも、時は男女関係におおらかだった平安の世。今日の価値基準は、通用しない。
その後、本来なら被害者であるはずの朧月夜も光源氏を憎むどころか、かえって彼の虜となってしまったというから、女心はわからない。彼女自身が当時の女性たちの中でも、性に奔放だったと見なすべきかもしれない。
■二人の関係が問題になり、光源氏は流刑地・須磨へ
当然のことながら、二人の関係は、程なく周囲に知られるようになった。本来なら東宮(後の朱雀帝)の元に入内する予定だった女性である。それが、光源氏との関係が知られたことで、入内も一時留め置かれたようだ。それからしばらくして予定通り帝に寵愛されるようになるが、それでも光源氏との逢瀬が忘れられず、あいも変わらず密会を繰り返している。
もちろん、朱雀帝も二人の関係を知った。しかし、義理の弟である光源氏に何かにつけ引け目を感じていたこともあって(この辺りは理解しがたい)か、二人を咎め立てることはしなかった。ただし、二人の関係を知った朧月夜の姉で朱雀帝の母でもある弘微殿女御が激怒。とうとう光源氏を須磨へと流してしまったのである。
その後、右大臣が亡くなったこともあって、朱雀帝から召喚されて帰京。以降出世を繰り返し、とうとう太政大臣にまで上り詰めて栄華を極める。光源氏の後半生のモデルは、当時権力の頂点にまで上り詰めていた藤原道長であろう。
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