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【昭和の映画史】24歳の水谷豊がノーギャラで出演 実際にあった“親殺し”をベースにした衝撃作

■戦後復興を遂げた日本における映画文化の発展

 

 『青春の殺人者』はATG(アートシアターギルド)が制作し、長谷川和彦が監督して昭和51(1976)に公開された作品である。全共闘運動が収束しオイルショックに襲われ、高度経済成長が終わった70年代前半における日本社会の雰囲気を濃厚に伝え、この時代を代表する一作となった。

 

 ATGは昭和36(1961)に設立され、60年代70年代に、若者文化の一端を担った映画会社及び制作体制である。それまでの一般的な商業映画とは一線を画した、低予算でも芸術性の高い作品を生み出して支持を得た。

 

 世界的にベトナム反戦運動が盛り上がり、それと連動して、戦後のベビーブーム世代が牽引する若者文化が花開いた時期である。ATGは、そういう世界的な動きと連動していた。

 

 日本映画界にも時代の波が押し寄せ、若手を中心に新しい動きが始まっていた。それらに着目した先輩映画人が主導して、ATGを立ち上げたのである。

 

 時代にも映画界に勢いがあったが、戦争を体験した世代の「日本に良き映画文化を育てよう」という情熱も見落としてはいけない。人気マンガやアニメの実写化に依存して挑戦をしない、近年の大手映画会社に見習ってほしいぐらいだ。

 

 ATGは、フランスで起きた新しい映画運動であるヌーベルバーグに影響を受け、松竹ヌーベルバーグと呼ばれた大島渚、篠田正浩、吉田喜重をはじめ、今村昌平や新藤兼人などの独立プロダクションの作品、若松孝二や足立正生などの政治的映画、それに様々な実験映画を誕生させて一時代を画した。

 

 ATGを生み出した先輩映画人とは、例えば川喜多長政、かしこ夫妻である。日本を代表する映画人として世界的に知られた川喜多長政は、明治36(1903)年に生まれ、府立四中(現在・都立戸山高校)を卒業したのち、陸軍大尉だった父が死去した中国に渡り、北京大学に入学した。

 

 父の川喜多大治郎は清朝(当時)の要請を受け、北洋軍学校の教官となった人物である。しかし情報漏洩を疑われ、逮捕に来た日本軍憲兵に抵抗して射殺された。

 

 川喜多長政はその後、ドイツにも留学する。そして帰国後、ドイツ最大の映画会社だったウーファの代理人を務めたのちに東和商事(現・東宝東和)を設立し、タイピストだった竹内かしこと結婚した。川喜多夫妻は良質な映画を求めて世界を駆けめぐり、各国の映画人と交流した。

 

 昭和30年代前半(1950年代の終わり)、副社長だった川喜多かしこは芸術映画の上映館設立を目指して「アートシアター運動の会」を作る。これに映画界から呼応する動きが出て、昭和36(1961)10館体制で始動した。

 

 公開作品ごとに、シナリオを掲載した雑誌『アートシアター』が劇場で販売された。それを読むことで公開作品への理解も深まり、鑑賞者は一家言を持って語ることができる。

 

 ATGの中心になった劇場はアートシアター新宿文化で、新宿サブカルチャーの聖地にもなった。鑑賞後に『アートシアター』を持って新宿の雑踏の中を歩いていくと、映画通としての自負と興奮に昂揚することができたのである。

 

 『青春の殺人者』は長谷川監督の第一作で、原作は中上健次の短編小説『邪淫』だ。中上健次は戦後生まれ初の芥川賞作家で、故郷の紀伊半島を舞台に、土着性の強い濃厚な世界を描いた。被差別部落の出身で生い立ちも複雑。唯一無二の存在感で成熟が期待されたが、46歳で早世した。

 

 物語は、千葉で実際に起きた事件を下敷きにして書かれている。中川は被差別部落のある場所を「路地」と呼んだ。主人公の若者・斉木順は、その路地で生まれた。

 

 両親は、製材所を起こして路地の長屋暮らしから抜け出し、スナックの経営を息子の順に任せる。しかし順は、付き合っていた彼女のケイコをけなされて両親を殺してしまう。そして家に火をつけて、二人で旅に出るのである。

 

 脚本家の田村猛は、物語をより時代に引き寄せ、高度経済成長が終わり全共闘も収束した後の空虚な空気と、その中で漂流する若者の姿を象徴的に描いてみせた。それが同時代に生きる人々に強烈な印象を与え、今日に至るまで、70年代を代表する一作として語り継がれているのである。

 

 主人公の斉木順を演じたのは24歳の水谷豊。ノーギャラで出演している。俳優としての水谷の出発点は意外にも、右京さんとは似ても似つかない野放図な若者像だったのだ。

 

 水谷は昭和49(1974)から、萩原健一とテレビドラマ『傷だらけの天使』に出演、理不尽な現実に直面して挫折する若者を演じた。この作品が水谷の原点となり、しばらくはこの路線だった。『青春の殺人者』で水谷が演じた主人公は、『傷だらけの天使』で演じた若者像の延長線上にある。

 

 この作品で、水谷はキネマ旬報の主演男優賞を受賞した。同年、NHKの土曜ドラマシリーズ第三作・山田太一脚本の『男たちの旅路』でも、戦争の傷を引きずる主人公鶴田浩二に対置される、戦後生まれのチャラい若者を演じた。

 

 彼女役として共演したのは原田美枝子。彼女も息の長い女優だ。豊満で野生的な美少女という若い頃のイメージを覆し、今は母親役などを演じている。原田は本作の4ヶ月前に公開された、同じくATG作品の『大地の子守唄』にも主演し、高い評価を受けている。

 

 『青春の殺人者』は理由なき殺人を描いた作品だ。この映画ができる30年ほど前まで、日本はアジアで、理由があるのかないのかわからない殺人を繰り返していた。主人公が20歳ぐらいで親が40代だとすると、その親は敗戦時に若者だったはずだ。

 

 理不尽な戦争に巻き込まれ、その後は戦後復興と経済成長下で汗水垂らして働いていたのが、成り行きであっけなく殺される。その背後には、経済成長では消しきれない、日本社会の前近代性があった。

 

 圧巻なのは、自首しようとする息子を引き止める母親を演じた、市原悦子の演技である。息子を溺愛し彼女のケイコに嫉妬し、母親は次第に常軌を逸していく。そして揉み合ううちに殺されてしまうのである。あの時代に日本の母親が背負っていた全てを、市原が抜群の演技力で見せる。

イメージ/イラストAC

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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