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【光る君へ】まひろはイジメられるのか!? 怖すぎる「彰子サロン」の面々 メンバー間の序列は?

日本史あやしい話67


NHK大河ドラマ「光る君へ」8月25日の放送では、まひろ/紫式部(吉高由里子)が藤原道長(柄本佑)の娘・彰子(見上愛)のもとで宮仕えを始める。ラストでは、彰子サロンの女房たちがまひろを出迎えるが、彼女たちのあまりにも冷ややかな視線に、ネットでは「イジメられるのではないか」など不穏な予想が飛び交っている。サロンにはどんな人々が集まったのだろうか? また、紫式部との関係性や、メンバー間の序列はどうであったのだろうか?


 

■紫式部の序列はどのくらい?

 

中宮彰子(紫式部日記絵巻断簡/ColBase)

 

 彰子サロンに集っていた女房たちの顔ぶれに触れておこう。紫式部が仕え始めた頃に先輩格として彰子に仕えていたのは、赤染衛門、宰相の君、大左衛門のおもと、宣旨の君、小少将らであった。

 

 赤染衛門は、『栄花物語』の作者と思しき女性で、文章博士としてその名を知られた大江匡衡の妻。宰相の君(藤原豊子)は、大納言・藤原道綱の娘で、後一条天皇の乳母となった女性である。紫式部とも大変親しかったようだ。

 

 大左衛門のおもとは、道長の家司・橘道時の娘で、こちらは後に敦成親王(後一条天皇)の乳母となっている。宣旨の君は、彰子の母方の従姉妹で、小少将とともに姉妹で彰子に仕えていた。

 

 また、紫式部の後輩として彰子に仕え始めた女房も紹介しておこう。和泉式部、馬の中将、橘の三位らの名があげられそうだ。和泉式部といえば、いうまでもなく『和泉式部日記』の作者で、前述の大江匡衡の姪。紫式部からも歌人としての才を高く評価された女性であった。

 

 馬の中将は、もともと定子に仕えていたものの、後に彰子に仕えて「中将典侍」と呼ばれた。こちらは、紫式部とは仲が悪かったようである。

 

 また、橘仲遠の娘・橘の三位も、紫式部にとってはライバル的な存在であった。一条天皇の乳母だったということもあってか、紫式部の目には、鼻持ちならない女房と映っていたようだ。

 

 なお、30人余りも女房がいたと言われるが、紫式部の序列は、宣旨、大納言の君、宰相、小少将、宮の内侍に次ぐ6番目(8番目だったとの説も)だったというから、待遇はそれほど悪くはなかったはず。彰子との間柄も良かったとなれば、本来ならそれなりに宮仕えを楽しんで良さげな境遇だったはずであるが……。

 

■サロンになじめず、たびたび里帰り

 

 紫式部は、「彰子サロン」の同僚たちとどのような関係を築いたのだろうか? じつのところ、「風流ぶって気詰まり」だとか「人をバカにするようなところがある」として、反発されることが多かったようである。

 

 もともと地味で無愛想。人見知り気味な性格もあってか、人との付き合いは大の苦手。そんな性質ゆえに、誤解されやすかったのかもしれない。

 

 気が合わない女房もおり、また、当初より、宮仕えそのものにあまり興味が湧なかったのか、たびたび里帰りを繰り返すことになった。女房たちから「いつ参上するのか」と問われても、のらりくらりとはぐらかしていたようである。

 

 ともあれ、少なくとも、『源氏物語』を書くにあたっての、参考となる貴重な情報を得ることはできたはず。彼女にとって、彰子サロンへの宮仕えは、少なくとも実り多きものだったに違いない。その意味では、紫式部が彰子に仕えたことは、自身にとっても、道長にとってもウィンウィンの関係だったはずである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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