恋に生き、仕事ぶりも高く評価された藤原賢子
紫式部と藤原道長をめぐる人々㉛
8月18日(日)放送の『光る君へ』第31回「月の下で」では、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)が藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)に依頼され、物語を書き始める様子が描かれた。その物語は、宮中の人々に絶賛された『枕草子』とはまったく違う趣きの物語だった。
■まひろ一世一代の物語が書き始められる

『百人一首絵抄』に描かれた大弐三位(国立国会図書館蔵)。大弐三位こと藤原賢子の歌は、『後拾遺和歌集』などの勅撰集に39首が入集している。広く知られる歌は「有馬山いなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」。
まひろの屋敷を訪ねた左大臣・藤原道長は、物語の執筆を依頼する。一条天皇(塩野瑛久)が亡き皇后・藤原定子(ていし/さだこ)にいまだ心を奪われており、そんな天皇に会うことなく、一人寂しく過ごしている中宮・藤原彰子(しょうし/あきこ/見上愛)を慰めるためだという。
まひろはあかね(のちの和泉式部/いずみしきぶ/泉里香)に宮中で流行している書物『枕草子』を借りて読みふけったり、弟の藤原惟規(のぶのり/高杉真宙)に話を聞いたりしているうちに着想を得て、新たな物語を書き始めた。
道長に最高級の越前の和紙を贈られ、嬉々として物語を綴るまひろだったが、書き上がったものを道長に読ませたところ、その反応を見て違和感を覚えた。問い詰めるまひろの追及に道長が白状したのは、読ませたいのは中宮・彰子ではなく、一条天皇だということだった。
そこでまひろは、一条天皇の人となりを道長から事細かに聞くことにした。その結果、書き上げられた物語は、道長の手から天皇に献上された。その夜、一条天皇は手に取って、まひろの綴った物語を読み始めたのだった。
■上級貴族と浮名を流した恋多き女性
藤原賢子(けんし/かたこ)は紫式部の娘として生まれた。999(長保元)年前後に誕生したといわれているが、正確な時期は不明である。
劇中では藤原道長との間にできた子であることが匂わされているが、式部が結婚した藤原宣孝(のぶたか)が父との見方が一般的だ。なお、宣孝は賢子が生まれて間もない1001(長保3)年に死去している。
賢子の幼少期についての様子はほとんど分かっていない。のちに、母の式部と同様に一条天皇の中宮である藤原彰子に仕えたことは間違いないが、宮仕えを始めた時期については諸説ある。
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