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信長を二度裏切った松永久秀が執着した「地位」

武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」 第45回

■三好政権で枢要な「地位」を得た松永久秀

浮世絵師の月岡芳年が描いた松永久秀。織田信長から助命と引き換えに求められた名器・平蜘蛛を壁にぶつけて割り、要求を拒否する様子が描かれている。『芳年武者旡類 弾正忠松永久秀』都立中央図書館特別文庫室蔵

 松永久秀(まつながひさひで)は三好家を利用して室町幕府を衰退させ、13代将軍足利義輝(よしてる)を殺害し、信長に仕えた後も二度にわたって謀反を起こした悪人のイメージが強い武将だと思います。

 

 しかし、実際は三好政権の重臣として長慶(ながよし)に尽くし、幕臣として幕政を助けており、義輝の襲撃にも直接的には関与していません。また信長の上洛を助け、室町幕府の再興に貢献し、再び幕臣として15代義昭(よしあき)に仕えています。

 

 その後、信長に反旗を翻すことになりますが、これには久秀が理想としていた自身の「地位」が関係していると思われます。

 

■「地位」とは?

 

「地位」とは辞書によると「社会や組織などの中での、その人の置かれている位置。その人の身分や能力などの段階。くらい」とされています。

 

 また「地位」と「役割」は表裏一体のもので、人が社会や集団の中において役割を担う際には、それに伴う一定の資格や権限を持つ地位を得ています。組織内において枢要な「地位」を失うということは、重要な「役割」を期待されていないという事になります。

 

 久秀は、三好長慶の元で高い「地位」を得て幕政にも関わるほど活躍するものの、長慶の死後は「地位」が低下していきます。しかし、それに甘んじず抵抗を続けていきます。

 

■松永家の事績

 

 松永家の出自は阿波国、山城国、摂津国などの土豪と諸説あり、確かではありません。1533年ごろに三好長慶の側近として仕え、長慶が畿内に進出したあたりから活動が見られるようになります。

 

 長慶が三好政権を樹立すると、三好家の重臣として頭角を表していきます。当初は文官として重用されていましたが、相国寺の戦いなどで武官としても活躍をしています。そして、長慶の引き立てにより幕臣としての活動も増えていきます。

 

 三好家の家臣でありつつも、幕政への関与も増加していきます。1560年には筒井順慶(つついじゅんけい)や興福寺を破り、大和一国を支配下におく事に成功し、国持大名のような地位も得ています。

 

 そして三好政権は、長慶のもとで畿内・四国を含む13カ国にまで版図を拡大していきます。

次のページ■三好政権で重用された久秀

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森岡 健司もりおか けんじ

1972年、大阪府生まれ。中小企業の販路開拓の支援などの仕事を経て、中小企業診断士の資格を取得。現代のビジネスフレームワークを使って、戦国武将を分析する「戦国SWOT®」ブログを2019年からスタート。著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。

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