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藤原氏の権力闘争に利用された花山天皇

紫式部と藤原道長をめぐる人々⑪


3月17日(日)放送の『光る君へ』第11回「まどう心」では、花山天皇(かざんてんのう/本郷奏多)の退位に揺れる京の人々の様子が描かれた。まだ幼い帝(みかど)が誕生する一方、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)と藤原道長(ふじわらみちなが/柄本佑)との関係にも微妙な変化が生まれようとしていた。


 

■権力の交代劇の裏でまひろの父が解任される

京都府京都市にある元慶寺(がんけいじ/がんぎょうじ)。868(貞観10)年に定額寺として開創され、877(元慶元)年に清和天皇の勅願により元慶寺に寺名が改められた。花山天皇が出家させられた場所で、応仁の乱で焼失。本堂などは江戸時代に再建された。

 花山天皇の退位から一夜明け、京では帝の不可解な出家に不確かな憶測が乱れ飛んだ。確実なことは、次に即位する天皇の外祖父となる藤原兼家(かねいえ/段田安則)の世が訪れるということだけだ。

 

 兼家はさっそく宮中の人事に乗り出し、自身の息子たちを昇進させる一方で、まひろの父である藤原為時(ためとき/岸谷五朗)ら、花山天皇に近しかった者たちを解任したり、左遷したりした。

 

 まひろは、父を復職させるよう兼家に直談判を試みたが、取り付く島もなかった。兼家は、自ら陣営から去った為時が再び官職を得ることはないと明言し、まひろを追い返した。

 

 一方、まひろへの思いをますます募らせる藤原道長は、ある夜にまひろを呼び出し、妻に迎えたいと申し出た。しかし、正室としてではなく、妾(しょう/めかけ)であることにまひろは難色を示した。

 

 自分にできる精一杯の訴えがまひろに届かないと知ると、憤った道長は「勝手なことばかり言うな」と言い捨てて立ち去った。

 

 怒りと焦燥で感情をむき出しにした道長を初めて見たまひろは、呆然と立ち尽くし、一人、涙に暮れた。

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過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

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